OTHER 2026.09.30

「大人の島留学」に魅せられて。隠岐・西ノ島に移住するまで。

新卒で入社した会社を退職し、これからどう生きていこうか迷っていた25歳の冬。偶然見つけた「大人の島留学」が、その後の人生を大きく変えることになるとは思ってもいませんでした。今回は、応募を決めた日から西ノ島での暮らしが始まるまでの、期待と不安が入り混じった当時の心境を振り返ります。

小林 由妃乃
愛知県出身。新卒で入社した会社を退職後、「大人の島留学」をきっかけに島根県・隠岐諸島の西ノ島町へ移住。2年間にわたり地域おこし協力隊としてPR業務や移住支援業務に携わる。現在は石川県で暮らしながら、大好きな西ノ島との2拠点生活を実現することを夢見ている。
「大人の島留学」との出会い

新卒で就職した会社を退職することを決め、新たな道を探していたある日の朝。寝ぼけながら携帯を眺めていると、「大人の島留学」に参加している島留学生の記事を見つけました。

「大人の島留学」とは、全国の若者たちが島根県の隠岐島前(どうぜん)地域(中ノ島・西ノ島・知夫里島)で暮らし、働くことができる制度。島留学生同士がシェアハウスで共同生活をしながら、行政や観光、教育や一次産業など、それぞれが自身の興味分野で働くことができます。

記事を見るまで、隠岐諸島についてはもちろん、離島に興味を持ったことがありませんでした。でもなぜか、記事の中から感じられる地域の人との温かい関係性や、離島だからこそできる暮らしに一気に引き込まれていく感覚がありました。直感で次の道は「ここしかない」と感じ、その日の夜にはもう島留学に応募することを決めていたと思います。

とりあえず隠岐諸島から愛知県の実家までの行き方を調べ、電車とフェリーを乗り継げば、丸1日で行き来できることを確認しました。最悪、なにかあっても帰ってこられるとわかってから、両親に「来年度、島に行きたい」と伝えました。なんでも応援してくれる母はもちろん、いつも心配性な父も「1年で帰ってくるなら」と私の選択を否定せず、背中を押してくれました。きっと心身ともに疲弊していた私が、久しぶりにワクワクしている姿を見て父も嬉しかったのだと思います。

人生の寄り道への葛藤

島留学に応募することを伝えなければならない相手がもう1人。大学4年生の頃から付き合っている彼氏とは、就職のタイミングから約2年間、遠距離恋愛を続けていました。もちろん寂しい気持ちもありましたが、お互い好きなことを自由にやりたい性格で、もう決定事項のように伝えた気がします。応援してくれるだろうと思っていても、やっぱりなんて言われるかドキドキしていました。なので、「めっちゃいいじゃん。じゃあ俺は海外に行こうかな」と彼らしい言葉が出てきたときは安心しました。

同級生は、同棲したり結婚したりと人生の駒を進めている中で、友人から「あなたたちはどんどん離れていくね」と言われたのを覚えています。思い描いていた理想の結婚年齢も間近に迫ってきているのに、また新しい環境に飛び込んだら結婚は遠ざかっていく。それは自分でもわかっていました。1年間の島留学を終えたら、また新しい会社に就職して仕事に慣れるまで恐らく3年。20代後半に、思ってもいなかった寄り道をすることになります。

島留学に参加するうえでの不安をあえてあげるとするならば、こうしたキャリアや結婚への焦りからくるものだったと思います。それでも、当時の私にとっては、そんな不安よりも島で見つけられるかもしれない新しい生き方へのワクワク感の方が勝っていました。

島前3島から西ノ島を選んだ理由

就職活動の頃から約2年ぶりに面接を受け、無事に1年間の島留学に行くことが決まりました。合格通知メールに「ぜひ大人の島留学へ飛び込んで来てください」と書かれており、挑戦しようとしているこの一歩をしっかりと受け止めてくれるような安心感に包まれたのを覚えています。

参加決定後に実施される事前面談で、自分が1年間暮らしていく島が決まります。島留学を実施している島前3島の中で、希望した島に必ず行けるとは限りませんが、自分の希望を伝えることができます。やりたい仕事で選ぶ人もいれば、島の雰囲気で選ぶ人、公共施設など暮らしの環境で選ぶ人もいますが、私は「同期の島留学生の数」で選びました。

私が参加した年(2024年度)、中ノ島(海士町)は年間約50名、西ノ島(西ノ島町)は約10名、知夫里島(知夫村)は約5名の島留学生を受け入れていました。私はたくさんの人に出会える中ノ島か、少なすぎず同期全員と仲良くなれそうな西ノ島のどちらかで迷っていました。大人数が苦手な私にとって中ノ島は挑戦になるけれど、せっかく行くなら挑戦した方が良いのではないかという気持ちもありました。最終的には事務局の方から「仕事も暮らしも環境が変わり、それだけで挑戦。少しでも自分の居心地がいいと思う環境を選んだら?」というアドバイスをいただき、悩んだ末に西ノ島を選びました。

来島前の準備と過ごし方

島留学に行くために、特別な準備をしたわけではありません。転居に伴う必要な手続きはありましたが、シェアハウスでの生活に必要な家具や家電は一通りそろっていたため、引っ越しの荷物は段ボール数箱を事前に送る程度でした。段ボールに詰めたのは、春から夏にかけての衣類や洗面用具、パソコンなどです。一方で、来島してから意外と必要だと感じたのは、タッパーやお弁当箱、ジャージなどの動きやすい服装、そして厚手の上着でした。島内は飲食店が少ないため、多くの島留学生がお昼ご飯にお弁当を持参していますし、町内にはスポーツサークルのようなコミュニティが数多くあり、運動をする機会も意外と多くあります。また、本土よりも気温が3℃ほど低いため、4月は春服だけでは寒く感じる日が少なくありませんでした。とはいえ、日常生活に必要なもののほとんどは島内で調達できますし、ネット通販も時間指定ができないだけで、本土とそれほど変わらないスピードで届きます。

私自身、知らない土地で暮らすことは、大学進学のときに経験していたからか、あまり不安がなく、西ノ島にどんな施設やお店があるのか、事前に調べたのは病院と郵便局くらいでした。正直、「同期もいるからなんとかなるだろう」と安心していたのかもしれません。

1月末に退職してから4月頭に来島するまでの2か月間は、これまでできなかったことを楽しむ期間にしました。シンガポールで暮らす友人に会いに行ったり、母と韓国ドラマを見ながらお昼ご飯を食べるという何気ない日常を過ごしたり。島留学をきっかけに「今後は文章を書く仕事がしたい」と思っていたので、ライター講座にも通いました。本土でやりたいことを思う存分やり切って、ついに来島日を迎えました。

緊張の来島日

来島前日は、鳥取県米子市のホテルに泊まりました。あれほどずっとワクワクしていたのに、いざ来島日を迎えると緊張してしまって、朝ご飯が喉を通りませんでした。米子駅から『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクターがデザインされた電車で境港駅へ。鬼太郎列車は、車内アナウンスまでキャラクターの声です。道中にこんなに楽しめる電車があるなんて思ってもいなかったので、ラッキーな気分でした。境港からはバスに乗って七類港へ。七類港に近づくにつれて、だんだんと大きなスーツケースを持った島留学生と思われる人たちが増えていき、フェリー乗り場は島留学生であふれていました。

人見知りの私は、前に並んでいる島留学生らしき人に声をかけようかずっと悩みながら、結局かけられないまま乗船時間を迎えました。フェリーは想像していたよりもずっと大きく、これが本土と隠岐諸島をつないでいるのだと思うと、なんだか頼もしく思えました。

島留学生は、船の後ろ側、銭湯の休憩室のように雑魚寝ができるスペースで、ぎゅうぎゅうになって座りました。それぞれグループになって楽しそうに話している様子に焦りを感じ、ようやく私も勇気を出して、近くにいた2人に話しかけました。2人は中ノ島メンバーでしたが、年齢が近く、社会人経験を経て参加していて、自分と同じような人もいるんだと安心しました。座って会話を楽しんでいるうちに乗り物酔いをしそうだったので、途中からは横になり、ただ到着を待つことにしました。

シェアメイトとの対面。新しい生活のはじまり

着岸が近づいてきたことを知らせる民謡のアナウンスで目を覚まし、約3時間の船旅を終えて、中ノ島に到着しました。来島セレモニーのようなものがあるため、どの島で暮らす人も全員一度中ノ島で降りました。船を降りてすぐ、島ごとにスーツケースが集められているときに、初めてシェアメイトの2人と出会いました。

2人はフェリーから一緒でそれなりに話していたようで、初めて出会った私に対して「出身は?」「前の仕事はなにをしていたの?」「なんで西ノ島にしたの?」など質問の嵐。「とにかくよく話す人たちだな」というのが2人の第1印象ですが、そんな彼女たちだからこそ、人見知りな私でもすぐに打ち解けられたのだと思います。

セレモニーが終わってからは西ノ島へ移動し、役場で転入の手続きをしてからシェアハウスへ。正直長旅の疲れが限界に達しそうでしたが、これから住む家を見るとやはりテンションが上がりました。シェアハウスは古い和風の一軒屋で、1階にリビングや洗面所、キッチンなどの共用スペースと個室が1部屋、2階に個室が3部屋ある大きな家でした。

初めての土地で、初めて会ったばかりのシェアメイトと1年間、この家で暮らす。
1年前の自分には想像もできなかったことなのに、なぜか不思議なくらい違和感がありませんでした。

振り返ると、初日に感じたこの感覚は、2年暮らした今も変わらない西ノ島の居心地の良さそのものだったのだと思います。