OTHER 2026.10.07

1年間の「大人の島留学」は
新たな挑戦の始まりだった

楽しみな気持ちと少しの緊張を抱えながら、島根県隠岐諸島・西ノ島へ移住し、1年間の島留学が始まりました。シェアハウスでの共同生活や事業所での仕事、島の人たちとの交流を通して、本土では得られなかった多くの学びや発見がありました。この記事では、島での暮らしや仕事、そして1年間で感じた心境の変化について振り返ります。

小林 由妃乃
愛知県出身。新卒で入社した会社を退職後、「大人の島留学」をきっかけに島根県・隠岐諸島の西ノ島町へ移住。2年間にわたり地域おこし協力隊としてPR業務や移住支援業務に携わる。現在は石川県で暮らしながら、大好きな西ノ島との2拠点生活を実現することを夢見ている。
「初めて」がたくさん詰め込まれた 濃密な2週間

西ノ島で暮らし始めた最初の朝。目を覚ましてカーテンを開けると、窓の向こうには昇りたての朝日と穏やかな海が広がっていました。思わず深呼吸をしたくなるような景色を前に、「私は、本当に離島で暮らし始めたんだ」と、ようやく実感がわきました。
島暮らしが始まって最初の2週間は、「大人の島留学」の研修期間でした。島前3島(西ノ島・中ノ島・知夫里島)で暮らす約70名の島留学生が集まり、グループで島々を巡ったり、民謡体験をしたりしながら、これから暮らす地域について学びました。自分が育った地域のことですら十分に知らないまま過ごしてきたのに、島の歴史や文化に触れるたびに、不思議と「もっとこの島のことを知りたい」という気持ちが大きくなっていきました。
研修と並行して、新しい共同生活も始まりました。ひとり暮らしの経験はありましたが、家族以外の人と暮らすのは初めてです。シェアメイトは、実家を離れるのが初めてだという新卒社会人の2人。最初は「嫌いな食べ物はある?」「朝型?夜型?」と、お互いのことを探りながら過ごしていました。
けれど、そんなぎこちなさもすぐになくなり、いつの間にかシェアメイトと過ごす時間が日常になっていました。毎日一緒に作ったご飯を囲みながら、その日にあった出来事を話したり、ときには恋愛の話で盛り上がったり。数日前まで名前すら知らなかった3人とは思えないほど、自然と距離が縮まっていきました。

事業所での仕事がスタート 島に来て感じた最初の壁

2週間の研修期間が終わると、それぞれの事業所での仕事が始まりました。私は来島前の面談で「文章を書く仕事がしたい」と希望していたこともあり、西ノ島町役場の政策企画課に配属されました。広報や移住促進に関わる業務を担当することになり、自分が思い描いていた姿に近づけるかもしれないと期待していました。
初出勤の日。同じ職場に配属されたシェアメイトと一緒に自転車で役場へ向かいました。役場までは片道15分ほど。島留学生には電動自転車が貸与されますが、西ノ島は想像以上に坂道が多く、なかなかの運動量です。「今日は何をするんだろうね」と話しながらペダルをこいでいましたが、運動不足のせいなのか、それとも緊張のせいなのか、心臓はずっとバクバクしていました。
役場に到着し、所属課の皆さんへの挨拶を終えると、課長や上司との面談がありました。そこで伝えられた主な業務は、移住者への取材を通して島の魅力や暮らしを発信すること。「たくさんの人に出会い、たくさん話を聞きたい」と思っていた私にとって、その仕事はまさに理想としていたものでした。
しかし、その一方で、現実はそう甘くないとも感じました。それは、「島の人は恥ずかしがり屋で、あんまり取材を受けてくれない」と知ったからです。知り合いが1人もいない島で、どうやって取材先を見つければいいのだろう。本当に自分に務まるのだろうか。そんな気持ちを抱えながらこいだ帰り道。ペダルは、行きよりも少し重く感じました。

初出勤から1か月 少しずつ広がる人との出会い

しばらくの間は、役場へ出勤しても何をすべきかわからず、自分にできることを探す日々が続きました。転機となったのは、初出勤から1か月ほど経った頃です。島留学の事務局の方に相談したことをきっかけに、初めて取材に応じてくださる方を紹介していただきました。その方は、大工として働きながら馬を飼育しており、当日は放牧している馬の世話に同行しながら話を伺いました。朝夕は馬の世話をし、日中は大工として働く。さらに鶏を飼い、その卵を食べ、休日には釣りを楽しむ。そんな本土では想像もしなかった暮らしぶりに触れ、大きな刺激を受けました。取材を終える頃には緊張もほぐれ、「もっといろいろな人の話を聞いてみたい」と思うようになっていました。
その後は取材した方から次の方を紹介していただくことも増え、少しずつ人とのつながりが広がっていきました。島で暮らす人たちの話を聞くたびに新たな魅力を知り、人のことも、この場所のことも好きになっていきました。
また、仕事に慣れ始めた6月には、新たにシェアメイトが加わり、4人での共同生活がスタートしました。所属先が異なるため生活リズムはそれぞれ違い、以前のように毎日一緒に食事をすることは少なくなりました。しかし、地域の方から野菜や魚のお裾分けをいただいたときには、みんなで料理を楽しむこともありました。無理に生活リズムを合わせるのではなく、ときには話し合いながら、お互いのペースを尊重して過ごしていました。

想像以上に忙しかった 島ならではの休日の過ごし方

島留学での日々は充実していて、あっという間に夏を迎えました。夏は島でいちばん盛り上がる季節です。夏祭りやビアガーデン、地区ごとに行われる盆踊りや例大祭など、さまざまなイベントが開催され、休日は島留学の同期と参加して楽しんでいました。
また、もっと島の人とつながりたいという思いから、飲食店やホテルでアルバイトをさせてもらうこともありました。本土で暮らしていた頃は仕事に追われ、休日は家でゆっくり過ごすことが多かった私ですが、この頃は仕事の日よりも休日の方が忙しいと感じるほどでした。気になることがあれば、とりあえずやってみる。そんな毎日がとても新鮮でした。
西ノ島で半年ほど暮らすうちに、日常の楽しみ方も少しずつ変わっていきました。西ノ島にはカラオケや映画館のような娯楽施設はありません。それでも、仕事終わりに友人とお弁当を買って夕日を見に行ったり、夜には満天の星空を眺めたりと、自然の中で過ごす時間が日常の一部になっていました。本土では特別な予定を立てなければ味わえなかった景色が、島ではすぐそばにあります。
そんな毎日を過ごすうちに、以前よりも身近なものに目を向ける時間が増えていきました。仲間と過ごす何気ない時間や、ふと足を止めて眺める景色の美しさ。島での暮らしは、それまで気づかなかった楽しみや心地よさを教えてくれていたように思います。

島留学の終わりが近づき 将来について考え始めた冬

お盆を過ぎると、島の賑わいも少しずつ落ち着き始めました。そんな中、11月には島留学生全員でひとつの大きなイベントを開催しました。これは西ノ島の島留学生1期生から続く恒例行事で、私たち3期生にとっても集大成ともいえる取り組みでした。当日は隠岐4島から出展者を募り、ステージ企画やワークショップ、飲食ブースなどを実施。準備は決して簡単ではありませんでしたが、役場職員の方々や地域の皆さんの協力もあり、500名を超える来場者で賑わいました。島留学生の挑戦を地域全体で応援してくれる文化に触れ、「この島だからこそできる挑戦がある」と実感した出来事でした。夏から準備を続けていたこともあり、イベント終了後には大きな達成感とともに、ぽっかりと穴があいたような喪失感も覚えました。
そうして迎えた西ノ島の冬は、想像以上に厳しいものでした。雪が積もる日もあれば、強風や高波の影響でフェリーが欠航することもあります。本土へ出たいと思っても出られず、全便欠航を知らせる町内放送が流れたときは、どこか取り残されたような寂しさを感じました。
そんな日々を過ごす中で、気づけば島留学の終わりも少しずつ近づいていました。1年だけのつもりで飛び込んだ島留学でしたが、「来年はどうするの?」と聞かれるたびに、自分でも驚くほど「島を離れたくない」という思いが強くなっていたのです。島での暮らしが当たり前になったからこそ、残された時間の短さを意識するようになっていました。
そんな日々を過ごす中で、気づけば島留学の終わりも少しずつ近づいていました。1年だけのつもりで飛び込んだ島留学でしたが、「来年はどうするの?」と聞かれるたびに、「島を離れたくない」という思いは、自分でも驚くほど強くなっていたのです。島での暮らしが当たり前になったからこそ、残された時間の短さを意識するようになっていました。

島に残る理由が見つかった 地域おこし協力隊への決断

島留学の終わりが近づくなか、進路について悩んでいたのは私だけではありませんでした。同じ職場で働き、休日もよく一緒に過ごしていた同期もまた、次の進路に迷っていました。ある日、「もし島に残るとしたら何がしたい?」という話になり、お互いにアイデアを出し合いました。移住促進や広報の仕事を通して、西ノ島にはまだ知られていない魅力がたくさんあることを実感していた私たち。島の魅力をもっと多くの人に届けるにはどうしたらよいのか、気づけば時間を忘れて話し込んでいました。まだ形になっていない構想ばかりでしたが、その時間は驚くほど楽しく、「もっとこの島で挑戦してみたい」という思いが少しずつ膨らんでいきました。
振り返ると、私が島に残ることを決めたのは、その頃だったのかもしれません。島の人たちともっと関わりたい。来年もこの景色を見ていたい。そして何より、まだここでやりたいことがある。そんな思いから、島留学を終えたあとも、地域おこし協力隊としてもう1年、西ノ島で挑戦することを決めました。
「将来への不安を考えすぎるより、今、自分の心が動く選択をしよう」
そう決めたことで、1年間の島留学は終わりではなく、新たな挑戦の始まりになりました。