OTHER 2026.09.16

潮流逆巻く来島海峡へ――村上水軍の来島と芸予要塞の小島を歩く

愛媛県今治市の波止浜港から、来島海峡に浮かぶ来島(くるしま)と小島(おしま)へ向かいました。どちらも港から船でわずか数分の小さな島です。来島には村上水軍ゆかりの来島城跡があり、小島には芸予要塞(げいよようさい)の砲台跡が数多く残されています。すぐ近くにありながら、それぞれに異なる歴史を刻んできた二つの島を、雨上がりの一日に歩きました。

井月 保仁 [いづやん]
(島旅フォトライター)
いづやんのペンネームで活動する島旅フォトライター。大学在学中に訪れた小笠原で島に魅了され、以後ライフワークとして日本の離島を巡り、島旅ブログ「ISLAND TRIP」にて旅の様子を書き綴る。島の魅力を伝えるべく、Webメディアや雑誌、イベントなどで活躍。有人離島266島を巡っている(2026年8月現在)
波止浜港から目の前の来島へ

JR予讃線の波止浜(はしはま)駅から20分ほど歩き、波止浜港へ。朝から降っていた雨はまだ残り、港の向こうには造船所のクレーンが並んでいます。ここから芸予諸島の来島、小島へ渡る船に乗ります。船待合所の券売機で「波止浜〜来島」「来島〜小島」「小島〜波止浜」の3枚の切符を買うと、船員さんが「もう買ってあるなら全部受け取ります。ずっと持ってると、みんな無くすので」とまとめて預かってくれました。乗り継ぎの時間まで教えてもらい、船に乗り込みます。乗客は僕ひとり。

波止浜港を離れると、わずか5分ほどで来島に到着しました。あまりに近いため、海を渡って島へ来たという実感が追いつかないほどです。それでも桟橋に立つと、目の前を潮が速く流れていることが分かります。すぐに船が着くのは陸地が近いから。そう、ここは日本でも有数の海の難所、潮流逆巻く来島海峡なのです。

村上水軍ゆかりの史跡を訪ねる

港のそばには「八千矛(やちほこ)神社」と「来島観光休憩所」があります。まずは立派な八千矛神社に参拝して、島に来られたことのお礼を伝えます。休憩所に寄って濡れたザックカバーを拭いて休憩し、地図を確認しているうちに雨が上がりました。

まずは港の周辺を歩き始めます。集落の中を抜け、「心月庵」「村上神社」へ。心月庵には来島城主の位牌(いはい)が置かれているとされ、村上神社は村上水軍を祀る神社です。村上水軍は芸予諸島の海で大きな勢力を誇った海賊・水軍で、海峡を通る船の水先案内などを担い、戦時には優れた船乗りとして戦にも参加してきました。来島は、その村上水軍の根拠地のひとつとして知られ、城も置かれていたのです。

村上水軍の根拠地・来島城跡

山の上にある「来島城本丸跡」へは、村上神社の脇から山道を進みます。少し分かりにくい道で、雨上がりの山には蚊が多く、途中には崩れた場所もありました。手すりを頼りに慎重に進み、階段を上がると本丸跡に到着します。

そこに広がっていたのは、静かな草地でした。城跡らしい建物が残っているわけでもなく、木々に囲まれて眺望も思ったほど開けてはいません。それでも、かつてこの島を拠点に海を行き交った人々のことを思えば、周囲を流れる海峡の存在が違って見えてきます。

暮らしの気配が残る来島の集落

山を下り、今度は集落の奥へ歩きました。目につくのは空き家です。しかし、その間には大きなスイカが実る畑があり、古い石垣の上には花壇が作られていました。人の姿はほとんどなくても、今もここで暮らす人がいる。その生活の気配が、ところどころに残されていました。

何より印象的だったのが、対岸の波止浜との近さでした。港から眺めると、まるで陸続きではないかと思うほどです。山の上にいてさえ、波止浜の造船所から響く作業音が聞こえてきます。距離だけなら、ほんの目と鼻の先。しかし、その間を流れる海峡は速い。陸にこれほど近いのに、来島は確かに速い潮が堀となり、海が石垣となって、隔てられた島でした。村上水軍がこの島に城を造った理由が、少しだけ分かった気がします。

小島で自販機のありがたさを感じる

隣の小島に行くために来島港から再び船に乗ります。行きにすべての切符を渡した船員さんとは別の人だったので、改めて伝えると「聞いています」とのこと。安心して船内へ。ここから小島までも約5分です。13時過ぎに到着すると、港のすぐそばに大きな大砲のレプリカが置かれていました。その奥にはレンガ調の「小島観光休憩所」があります。

来島で水を飲み切っていたので、自動販売機を探します。事前に調べた資料には「島内に自販機あり」と書かれていたのに見当たらず一瞬焦りましたが、休憩所の側面に隠れるように設置されていました。小さな島では、自販機でもとてもありがたいものです。きれいな休憩所で持ってきた軽食で昼食にし、案内板を頼りに戦跡巡りへ出発しました。

小島に残る芸予要塞の戦跡巡りへ

小島には、旧日本陸軍が明治期に建設した「芸予要塞」の施設が島内各所に残されています。港から5分ほど歩くと、まず「発電所跡」があります。レンガ造りの建物の内部には、炊事場のような設備まで残っていました。近くの民家の軒先を抜けるような細い道の、林の中に重厚な遺構の「南部砲台跡」が現れます。

さらに東へ山道をたどると「弾薬庫跡」がありますが、この日は雨で手前の道が水没しており、近くまで行くことができませんでした。脇の坂から眺めるにとどめ、さらに島の奥へ進みます。

中部砲台跡の規模に息をのむ

南西から北東へ延びる遊歩道には椿が植えられ、実をつけていました。途中では、落ちた実を食べる6頭ほどのウリボウに遭遇。親イノシシが近くにいないか身構えながら、そっと通り過ぎます。

やがて「中部砲台跡」へ着くと、その規模に驚かされました。少なくとも6基の砲座が並び、レンガや石造りの施設が山の中にまとまって残っています。雨に濡れたレンガや石積みは周囲の緑にのみ込まれつつあり、かつての軍事施設が島の風景の中に溶け込んでいました。

司令塔跡から来島海峡を見渡す

背後の急な階段を上がった先には「司令塔跡」があり、そこから一気に視界が開けました。

眼下に広がるのは、現在も船が行き交う来島海峡です。海峡の只中に浮かぶ馬島、その向こうには「来島海峡大橋」。津島の「潮流信号所」の信号も見えます。海峡を見張るために造られた要塞跡から、現代の海上交通を眺めている。その時間の重なりも、この島ならではの風景でしょう。

さらに「北部砲台跡」まで歩きます。ここは芸予要塞の廃止後、爆撃演習の標的として使われたとされ、奥には破壊された姿のまま残る遺構もありました。同じ島の砲台でも、それぞれ残り方や表情が違います。

海峡を眺めながら、港に戻る

北部砲台跡まで見終えると、さすがに足は重くなっていました。10キロを超えるザックを背負ったまま、島の山道を半日近く歩いていたためです。帰りは元来たアップダウンのある道ではなく、島の北側を通る海岸道路へ出ました。

目の前には馬島と来島海峡大橋。橋の向こうには、霧に煙る大島の亀老山(きろうさん)も見えました。馬島に立つ三つの灯台も見渡せます。雨雲の下の海は灰色でしたが、島々と橋、その間を行き交う船が重なり、来島海峡という場所の広がりを実感させる眺めでした。来島では、対岸の波止浜を間近に感じました。一方の小島では、高台や海岸から来島海峡そのものを眺め続けました。同じ海峡に浮かぶ二つの島でも、歩いてみると海との向き合い方はずいぶん違って見えます。

戦跡巡りに夢中になったため、小島の集落をほとんど歩けなかったことだけは心残りでした。今度は晴れた日に、集落をゆっくり歩いてみたいものです。

帰りも静かな一人きりの船旅

16時過ぎ、港に戻って船を待ちます。帰りの船も乗客は僕ひとりでした。途中の来島では乗り降りする人がいなかったため港には寄らず、船は汽笛をひとつ鳴らしてそのまま通り過ぎました。

やがて、朝出発した波止浜港が近づいてきました。来島も小島も、本土からほんの数分の距離です。それでも船に乗って海峡を渡り、島を歩いてみれば、そこには、村上水軍が活躍した時代、芸予要塞が築かれた近代、そして現在の静かな暮らしまで、異なる時代の痕跡が折り重なるように残されていました。

本土に近いからこそ、見過ごしてしまいそうな島があります。速い潮の向こうに浮かぶ来島と小島は、そのことをあらためて教えてくれる二つの島でした。