「やってみたい」に向き合った1年
地域おこし協力隊としての挑戦と葛藤
「大人の島留学」をきっかけに島根県隠岐諸島・西ノ島に移住して1年。島留学卒業後の進路に悩みながらも、私は地域おこし協力隊として、新たな挑戦をすることに決めました。この記事では、地域おこし協力隊として取り組んだ「しまのわトラック」の活動を中心に、1年目からの気持ちの変化や、島を離れるまでの葛藤を振り返ります。
島留学の終わりが少しずつ近づき、来年度の進路について悩んでいた12月。私は同じ職場で働く同期とともに、地域おこし協力隊として西ノ島に残ることを決めました。その大きな理由となったのが、「動くアンテナショップをつくりたい」という思いでした。
ある日、「もし島に残るとしたら何をしたいだろう」と話していた私たちは、観光地に車を停め、軽食やお土産を販売しながら西ノ島の魅力を伝える移動式の拠点をつくれないかと考えました。観光スポットを巡るだけでは見えにくい島の日常や、実際に暮らしている私たちだからこそ知っている魅力を届けたい。そして、立ち寄ってくれた人との何気ない会話を通して、「また来たい」「いつか暮らしてみたい」と思ってもらえるきっかけをつくりたい。移住促進や広報の仕事をする中で、西ノ島のことを知らない人が想像以上に多いことを実感していたからこそ、生まれたアイデアでした。
島を離れるか、それとも残るか。進路に迷い続けていた私たちでしたが、このアイデアについて話していたとき、不思議なくらい迷いが消えていました。島留学への参加を決めたときと同じようなワクワク感に満ちていて、「まだこの島でやりたいことがある」と素直に思えたのです。すぐに企画書を作成して上司に相談すると、返ってきたのは「やってみたらいいよ」という一言でした。前例のない挑戦に不安もありましたが、その言葉に背中を押され、私たちは西ノ島でもう1年挑戦することを決めました。
進路が決まると、次は暮らしの準備です。島留学が終わればシェアハウスでの共同生活も終わり、町営住宅でのひとり暮らしが始まります。家具や家電、生活用品に加え、移動手段の確保も必要でした。そんな中、島を離れる方や地域の方々から、使わなくなった家具家電や車を譲っていただけることになりました。新しい挑戦を始める前から、多くの人に支えてもらっている。その事実が嬉しく、改めて島での人とのつながりの温かさを感じました。
そうして迎えた島暮らし2年目。初めて役場へ出勤した日のことを思い返すと、不安を抱えながら自転車をこいでいた1年前の自分が少し懐かしく感じられました。この1年はきっと面白くなる。そんな期待を胸に、私たちはさっそく「動くアンテナショップ」の実現に向けて動き始めました。食品衛生責任者の資格を取得し、役場の冷凍冷蔵車を活用させていただくための準備を進め、お土産店や関係者の方々への相談も重ねました。もちろん、初めての挑戦は思うように進むことばかりではありません。やりたいことを挙げればきりがありませんでしたが、限られた時間の中でまずは形にすることを優先し、一歩ずつ準備を進めていきました。
準備を始めて約3か月。ついに私たちの「愛車」が完成しました。西ノ島とのご縁の輪が広がりますように。そんな願いを込めて名付けたのが、「しまのわトラック」です。本当に実現できるのだろうかと思っていた企画が、ようやくスタートラインに立った。そのときの喜びは、今でも忘れられません。
そして、いよいよ「しまのわトラック」初出店の日を迎えました。おにぎりやお土産、観光パンフレットを載せた車を停めたのは、観光船乗り場の近く。観光客だけでなく地域の方も集まる場所だったため、たくさんの出会いが生まれることを期待していました。その一方で、「もし誰も立ち寄ってくれなかったらどうしよう」という不安も抱えていました。
実際に出店してみると、現実は想像以上に厳しいものでした。観光客の多くは船を降りると足早に目的地へ向かい、声をかけるタイミングすらなかなかありません。立ち寄ってくれる人も少なく、思い描いていたような交流は生まれませんでした。せっかく形にできたのに、このままうまくいかなかったらどうしよう。そんな焦りを感じていました。
そこで私たちはすぐに話し合い、出店場所を見直すことにしました。ターゲットを観光客に絞り、西ノ島を代表する景勝地「摩天崖(まてんがい)」の駐車場に変更しました。すると、以前よりも足を止めて立ち寄ってくださる方が増え、「どこから来られたんですか?」という何気ない一言をきっかけに会話が生まれるようになりました。おすすめの観光スポットを紹介したり、島での暮らしについて話したり、ときには移住に興味を持つ方から相談を受けたりすることもありました。
その場で出会える人数は決して多くありません。それでも、偶然立ち寄ってくれた人に西ノ島を少しでも身近に感じてもらいたい。そんな思いを込めながら活動を続けるうちに、「しまのわトラック」は少しずつ私たちが思い描いていた場所になっていきました。
摩天崖での週2回の出店に加え、Instagramで島の魅力や暮らしの様子を発信したり、島内外のイベントへ参加したりと、私たちはさまざまな形で活動を続けました。すると、「しまのわトラック」の存在を少しずつ知ってもらえるようになり、地域の方から声をかけていただく機会も増えていきました。小さなコミュニティだからこそ、新しい取り組みは良くも悪くも目につきます。地域の方たちは私たちの活動をどう思っているのだろう。そんな不安もありました。しかし、「頑張ってるね」「いい活動だね」と声をかけてくださるたびに、自分たちの挑戦を見守り、応援してくれる人がいることを実感し、大きな励みになっていました。
夏が終わると、観光客で賑わっていた摩天崖も少しずつ落ち着いていきました。そこで私たちは、10月で観光客向けの営業を終え、「アンテナショップ」から「チャレンジショップ」へと活動の形を変えることにしました。手作りのパンやお菓子を販売してみたい島留学生とともに、集落を巡る新たな挑戦です。各集落の区長さんにも協力していただき、体操の時間や移動図書館など、地域の方が集まるタイミングに合わせて出店を行いました。
活動を続ける中で印象的だったのは、集落ごとに異なる雰囲気があることでした。明るく賑やかな集落もあれば、控えめな方が多い集落もあります。同じ西ノ島の中にも、それぞれの文化や人とのつながりがありました。「しまのわトラック」は、観光客に向けて始めた取り組みでしたが、1年間通して活動したことで、島の魅力を外へ発信するだけでなく、自分自身もまだ知らなかった西ノ島の魅力に気づくことができました。
仕事だけでなく、暮らしも1年目から大きく変わりました。シェアハウスでの共同生活を終え、町営住宅でのひとり暮らし。最初は少し寂しさもありましたが、次第に自分のペースで過ごせる心地よさを感じるようになりました。2~3か月に1回ほどのペースで友人や家族が本土から遊びに来てくれるようになり、気兼ねなく家に招待できたことも嬉しかったことのひとつです。自分の大切な人たちが西ノ島を訪れ、景色や人の温かさに触れ、この場所を好きになってくれる。その姿を見るたびに、どこか誇らしい気持ちになっていました。
一緒に活動していた同期とも、相変わらず多くの時間を一緒に過ごしていました。お互いの家を行き来しながら、手の込んだラーメンを作ってみたり、季節のイベントを全力で楽しんだり。特別な場所へ出かけなくても、一緒にご飯を作り、他愛もない話をしながら過ごす時間が楽しい。そんな何気ない日常が、いつの間にか当たり前になっていました。
また、気持ちにも少し余裕が生まれました。1年目は「限られた時間の中で、できるだけ多くの経験をしなければ」と焦っていたように思います。しかし2年目になると、自分の素直な気持ちに従って行動できるようになりました。会いたい人に会う。参加したいものに参加する。そうして過ごすうちに、私は少しずつ「島を楽しむ留学生」から「島で暮らす住人」へと変わっていったのだと思います。季節ごとの行事や景色の移り変わりも特別なものではなくなり、日々の暮らしの一部になっていました。地域おこし協力隊として過ごす2年目も、気づけば終わりが近づいていました。
1年前、島に残るかどうか悩んでいた自分とは違い、この年は最初から「1年だけの挑戦」と決めていました。大切な人との将来や、自分自身のこれからの人生を考えたうえでの決断だったからこそ、次の道についても前向きに考えることができていました。たくさんの方に支えていただきながら、やりたいと思っていたことを形にすることができた。仕事でもプライベートでも、本当に充実した1年だったと思います。
もちろん、迷いがなかったわけではありません。「西ノ島の魅力を発信している私たちが、2年で島を離れていいのだろうか」「しまのわトラックは、この先どうなるのだろうか」。そんな葛藤は何度もありました。それでも、私たちは島を離れることを選びました。島を離れても、西ノ島とのつながりがなくなるわけではありません。これからも自分たちなりの形で西ノ島の魅力を伝え続け、何度でも帰ってきたい。そう思えたことが、次の一歩を踏み出す支えになりました。
そして迎えた離島の日。港には、これまでお世話になったたくさんの方々が見送りに来てくれていました。「がんばれー!」「また帰っておいでー!」という声を聞きながら、「本当に島を離れるんだ」と実感しました。フェリーがゆっくりと岸を離れ、見慣れた港の景色が少しずつ遠ざかっていく。最後まで笑顔でいようと思っていたのに、気づけば涙が止まりませんでした。
「ありがとう。行ってきます」
島へ向かう船に乗ったあの日の私は、この場所が人生の中でこんなにも大切な存在になるとは思っていませんでした。島で出会った人たちとの時間も、挑戦した仕事も、何気ない日常も、そのすべてが今の私をつくっています。大好きな西ノ島で過ごした2年間で、私は私自身をこれまで以上に好きになることができました。