人が去った島に今も残る教会へ ――小値賀島と野崎島を巡る旅
五島列島は大きく福江島と周囲の島々からなる下五島と、中通島を中心とする上五島に分けられますが、上五島より北にも島々が連なっています。2015年の上五島の島々を巡った前回の旅レポートに続き、今回は小値賀島と隣の野崎島へと足を運びました。
上五島の中通島からすぐ北の小値賀島へは、中通島の青方港からフェリー太古に乗船します。このフェリーは福岡県・博多港と五島列島を結ぶ航路で、博多から宇久島、小値賀島、青方港、奈留島、福江島と順に寄港していきます。青方港を12時10分に出発した船は50分ほどの船旅で小値賀島に到着。
船を降りて目の前の小値賀港ターミナルに足を運び、「おぢかアイランドツーリズム」のカウンターに向かいます。明後日渡る予定の無人島・野崎島上陸の手続きをするためです。野崎島散策時に廃校を利用した休憩所の利用ができますが、その施設利用料1000円を支払うのと、島の地図ももらったり船の出発時刻などを教えてもらいました。ついでにこのあと使う電動アシスト自転車も借りました。6時間で1000円です。安い! 他にも小値賀島の見どころや飲食店、買い物スポットなど、詳しく教えてもらえました。
「まだ13時過ぎなので、お昼食べられるところありますよ」とスタッフの方。なんと、「島だとお昼食べられないこともあるからなあ」と、さっき船の上でカップラーメンを食べてしまったばかり…残念。とりあえず、宿に向かうことにしました。
1階が喫茶店、2階が民宿の宿にチェックインしました。1階が喫茶店と聞き、きっと面白いことがありそう!という期待を胸に予約したのですが、その期待が見事に的中。ご主人のTさんは小値賀島の生き字引のような方でした。喫茶店でコーヒーを淹れてくれて、自作の地図で島のことを色々教えてくれました。明日行く予定の野崎島も「まだ人が暮らしていた頃に1年間学校の先生をしてたよ」と言うではないですか!
(※Tさんは数年前に逝去されたとのこと。現在は息子さんが宿と喫茶店を継がれているそうです)
すっかり話し込んでしまいそうでしたが、日が暮れるまでに借りた自転車で行けるところまで行きたい、と出発。定期船が着く港周辺は「笛吹郷」と呼ばれる島一番の集落があり、その北には「六社神社」という大きな神社がありました。近くに「小値賀教会」もあるはずでしたが、見た目が完全に普通の家屋らしく、見つけられませんでした。小値賀島の教会はそのひとつだけです。
島は畜産が盛んで、あちこちで放牧されている牛を見かけたり、小値賀島オリジナルの「牛注意」の看板もあちこちにあります。また、水田がいたるところにあるのが印象的でした。海沿いには「牛の塔」というかつて新田開発の時に使役され倒れた牛のための供養塔があります。
小値賀空港にも足を伸ばすと、滑走路の脇に出ることができました。
(※2006年までは定期便がありましたが、今は休止中)
翌日は、午前中に1階の喫茶店でTさんからまた島の話を聞かせてもらっていたら、「午後、車で島を案内してあげよう」という嬉しい申し出。迷うことなく飛びつきました。これぞ島旅の醍醐味です。
Tさんの車でまず向かったのは島南東部にある「赤浜海岸」。小値賀島は火山により生まれた島で、鉄分を多く含む火山岩由来の砂で赤く見えるのだそう。続いて、かつてクジラ漁で財を成した藤松家の家屋を改修した「古民家レストラン藤松」を見せてくれました。確かに立派で風情があります。その藤松の敷地の前に広がるのが「前方湾」。「昔、大陸へ行き来する船はこの前方湾によく停泊していたんだ。木で作った碇に石をくくりつけて海に沈め、出航する時は縄を切っていた。前方湾にはその碇石がたくさん沈んでいて、実際にここが中国への中継港として使われていたことを示しているんだ」とTさん。どこにでもある入江の風景だなと思っていたものが、急に意味をもって目の前に広がっている気がしました。
前方湾からは、明日行く予定の野崎島と、その中腹に「沖ノ神島神社」の白い屋根がかすかに見えます。沖ノ神島神社には、前方湾を経由した交易船が航海の無事を祈って多くの宝物を寄進していたそう。そんな話を聞きながら、次に向かったのはその神社と対になっている「地ノ神島神社」。沖ノ神島神社を沖津宮、ここ地ノ神島神社を辺津宮として、2社合わせて「神島神社」と呼ばれていたそうです。創建は飛鳥時代の704年と伝えられています。境内から階段で下った参道は海岸に消え、その鳥居の向こう、海を渡った先の野崎島に沖ノ神島神社があるのです。古代の航海と信仰の一端にほんの少し触れた気がしました。
Tさんに島の話を聞かせてもらいながら、車はさらに進みます。島のゴルフ場や橋で繋がった斑島の真っ赤な田んぼなどにも立ち寄ります。やはり、島の人に教えてもらいながら見ると、なんでもない風景に歴史と文化を感じられて実に面白いのです。
翌日は、五島列島旅のラストと決めていた野崎島へ。7時25分発の町営船「はまゆう」に乗りました。小値賀島の周りにはこの町営船で渡れる有人島がいくつかあります。小値賀島を出発した船は、六島、野崎島、大島、の順に巡航します。六島にほんの少しだけ寄港したのち、10分ほどで目的の野崎島・野崎港に到着しました。おぢかアイランドツーリズムのガイドさんから島での諸注意を聞き、各々に島内散策を開始。帰りの便は15時10分で、それまでは自由です。
僕がここに来たかったのは、この島でどうしても見たいものがあったから。かつてここにも潜伏キリシタンの方々が生活し、明治の禁教廃止後に建てられた見事な教会が、人のいなくなった島に今も残っていると聞いたのです。
港周辺はかつての野崎集落が広がっていますが、今は人もおらず、廃屋が生活の名残を伝えるのみ。野崎島はかつて野崎、野首、舟森の3つの集落がありました。そのうち野首と舟森はキリシタン集落だったそうです。最盛期には650人以上が暮らした島は、1990年代にすべての住民が島を離れ、無人島となっています。現在は廃校を改修した休憩・宿泊施設である「野崎自然学塾村」の管理人が1人、島に暮らすのみです。
野崎集落でかつての暮らしに思いを馳せたあと、港から西へと延びる道を進むとちょっとした峠を越え、やがて野首集落のエリアに入ります。途中、真っ青な海が見晴らせて「夏だったら泳ぎたい」と思いながら道を進むこと20分、ついに姿を現しました。
すり鉢状の盆地を見下ろす丘の上に建っているのが「旧野首教会」。「旧」の名称の通り、今は祈りを捧げる人もいない、かつての教会です。周囲の石垣は段々畑の名残で、昔は周囲に家屋がたくさん建っていたそう。手前の建物は閉校になった小中学校を改修して作られた「野崎自然学塾村」です。島を訪れる人はすでに施設使用料を払っているはずなので、ここで休憩することができます。また、申し込めば宿泊することも可能です。
それにしても、この教会も集落を見下ろすいい場所に建っているのが印象的でした。村で暮らす人々が目を上げれば常に教会が目に入り、心の拠り所としたことでしょう。僕が訪れた時はまだ「候補」でしたが、2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「野崎島の集落」として世界文化遺産に登録されています。
「旧」の名の通り、今は教会登録が抹消されているので、教会の中も撮影可能とガイドさんに教えてもらいました。下五島、上五島とたくさんの教会を拝観してきましたが、初めて教会の中を撮影することができました。
(※五島の教会は基本的に堂内の撮影が禁止されています)
リブ・ヴォールト天井やステンドグラスは、派手さこそないものの、信徒の方々が生活を切り詰め、キビナゴ漁で資金を貯めて建てた建物は見事の一言でした。ガイドさんや他の見学者もいなくなり、一人写真を撮り続け、それも終わるとしばらくベンチに座り、静寂に身を置くことにしました。
「人が去った島に、今も残り続ける教会」以前どこかで見たその言葉に惹かれて訪れた教会と集落跡は、旅の最後に相応しい景観を見せてくれました。しかし、わずか30〜40年前まで日々の暮らしの中で捧げられていた祈りは、ただの旅人には想像することも難しい。そう感じていました。Tさんなら、彼らのことを知っているかもしれない、戻ったらまた話を聞かせてもらおう。そんなことを、静寂の中で考えていました。
(※旧野首教会は、現在大規模修繕工事中で外側も足場で覆われています。工事は2025年11月までかかる見通しです)