人生が変わったキッカケの島
小笠原諸島1ヶ月滞在生活体験記(後編)
日本一遠い離島とも言われる小笠原諸島。交通手段は24時間かかる船だけ、それも週に約1便しかありません。「そんなところに行けるのは特別な人だけ」とすら思っていたのに、私は今、東京と行き来する2拠点生活をしています。始まりは転職を機にあえて作った1ヶ月間でのプチ移住生活でした。小笠原諸島にすっかり魅了されたきっかけの旅のことを、前編・後編に分けてお伝えします。今回は後編です。


1ヶ月間の小笠原諸島生活では、宿泊施設のスタッフとしてリゾートバイトをしながら滞在しました。朝の朝食準備と掃除を終えた後、夕食準備までの数時間の自由時間には、原付バイクで島内を巡る毎日を過ごしました。
小笠原諸島に来たなら、欠かせないのが海水浴です。小笠原諸島のビーチはどれも極上で、1番身近な場所は集落の中、遠い場所でも車で20分もあれば到着します。コンパクトなエリアに、トップレベルのビーチが点在しているのも小笠原諸島の魅力の一つです。
中でも私が好きなのは「境浦海岸」。海岸から100mほど沖には沈船があり、その周囲にはロクセンスズメダイをはじめとする多くの魚が集まるため、少し潜るだけで魚に囲まれる体験ができて楽しい海岸です(もちろん水面からも見れます!)。
そのほかにも、父島には素敵なビーチがたくさんあります。父島の玄関口に位置し、小さな子どもでも安心して遊べる「大村海岸(前浜ビーチ)」、スノーケリング好きに人気の「釣浜海岸」、リゾート感あふれる「宮之浜海岸」、真っ白な砂浜と遠浅が特徴の「小港海岸」など、それぞれに個性があります。
ちなみに、小笠原諸島の会社は昼休みが1時間半あるところが多く、夏になると昼休みに海へ泳ぎに行く島民の姿も見られます。日常の中で自然と触れ合える生活は、小笠原諸島ならではの贅沢と言えるでしょう。


地下鉄にも電波が通じるようになった現代、「電波がない!」という経験は、登山でもしない限りほとんどありませんよね。でも小笠原諸島ではそんなことが時折発生します。
たとえば、島の東側にある釣浜海岸や宮之浜海岸、森の中や展望台の上などは、電波が届きづらい場所です。私は、そうした場所にあえて足を運び、1〜2時間ほど何もせずボーッと過ごすことがありました。目を閉じて深呼吸をすると、波の音、鳥のさえずり、木の葉が風に揺れる音などが耳に届き、都会の喧騒から完全に切り離された”別世界”にいることを実感させてくれます。
小笠原諸島にいると、色彩が驚くほど鮮やかに感じられる気がしました。空や海の青、山や草木の緑、花々の赤や黄色、白、ピンク、紫。どれもがくっきりと目に飛び込んでくるのです。そよ風にすらもその感覚に意識が向き、自然の音だけでなく、全身で自然のエネルギーを感じるような感覚を味わえます。
せっかく小笠原諸島を訪れるのなら、ぜひ自然に身を委ねてみてください。心も身体も解放されるひとときを過ごせるはずです。なお、集落内では電波がしっかり通じるのでご安心を(一部のキャリアでは繋がりにくい場合もあるようですが)。
私が滞在していたのは父島。その父島から定期船「ははじま丸」に乗り、2時間南下した先に母島があります。「小笠原諸島は日本一遠い離島」と冒頭で述べましたが、東京から船を乗り継ぎ26時間かかる母島こそ、本当の「日本一遠い離島」と言えるかもしれません。
せっかく小笠原諸島に来たのだから、母島に行かない選択肢はありませんでした。ただし、仕事の都合で泊まりは難しく、日帰りで訪れることに。ははじま丸の運航スケジュール上、現地の滞在時間はわずか4時間半です。
そこで私は現地のガイドさんに島内観光をお願いすることにしました。「通っていない道がないようにする」が当時の私の島旅のモットーでしたが、限られた時間で効率よく回るためには現地のプロに頼った方がいいと思ったからです。
ラッキーなことに、その日は私1人のマンツーマンツアー。「可能な限り多くのスポットに行きたい、それぞれの滞在時間は短くていい、景色がいいところが好き」という要望に応えてくださり、とても効率よく回ることができました。
特に印象的だったスポットは、東港と北村小学校跡です。東港はかつて捕鯨基地があった場所ですが、現在は防波堤と数隻の船が停泊するだけの静かな場所。特に「何がある」といったスポットではありませんが、私はそこから見る海の青さに心を奪われてしまいました。
母島は人口約430人(2024年12月現在)の小さな島。繁忙期でない限り観光客に会うことも少なく、とても静かです。特に東港では人の気配がほとんどなく、聞こえるのは海の音だけ。その妙に静かな状況が、とても印象的に記憶に残っています。
「北村」とは、母島にかつて存在していた村です。第二次世界大戦中の強制疎開がきっかけで廃村となりましたが、当時は住宅だけでなく、村役場や郵便局、クサヤやカツオ節の工場、漁業関係施設などがあり、約450名もの村民が生活していたというのですから驚きです。


そんな面影は一切感じられないエリアに「北村小学校」の看板がひっそりとあります。わずかに残る外壁や門柱が、ここに学校があったことをかろうじて伝えている程度で、校内だったはずの場所には、今ではガジュマルの木が密集しています。ガイドさんに教えてもらわなければ、ここに集落が存在していたことなどわからなかったかもしれません。
かつてここに人々が暮らし、子どもたちの笑い声が響いていたこと。そして、戦争によってその営みが失われたこと。その歴史に思いを馳せる時間でした。
ガイドさんとお別れした後は、帰りの船の時間まで1人でお散歩を楽しみました。向かったのは「鮫ヶ崎展望台」。冬になるとやってくるザトウクジラの観察スポットとしても知られています。やっぱりここでも誰にも会わず、人の声も聞こえず、ただ自然の音に耳を傾けるだけ。「遥か遠くまで来たんだなあ」と1人静かに感動を噛み締めました。
「南島」は小笠原諸島を象徴するスポットの1つです。ガイドブックやポスターにもよく登場し、小笠原諸島観光の目玉として多くの観光客が訪れます。「沈水カルスト地形」という独特な成り立ちを持つ南島は、カツオドリ、オナガミズナギドリなど貴重な海鳥たちの繁殖地であり、固有種の草木が数多く自生している、生態系の宝庫でもあります。
南島への上陸には認定ガイドの同行が必須のため、通常はツアーに参加することになります。私は、滞在中に偶然開催された「外来植物除去ボランティア」に参加し、特別に上陸する機会を得ました。南島の植生保護のためにおこなわれたものだそうです。環境省の職員の方から生態系や保護活動について学び、とても有意義な時間を過ごしました。
小笠原諸島には、おがさわら丸が父島に停泊している「入港中」と、そうではない「出港中」という期間があります。出港中は観光客の方が少なく島もお休みモードの静かな時間。ですが、こういった島民向けのイベントは出港中におこなわれることも多く、1ヶ月という長期にわたり滞在したからこそ経験できた貴重な体験だと思いました。


小笠原諸島はお祭りやイベントが多いです。私の滞在中には「産業祭ぼにんばざーる」がおこなわれ、小笠原諸島の名物グルメやメカジキの解体ショー、伝統的な南洋踊りやぼにん囃子(太鼓)のステージなど、多彩な催しが楽しめました。小笠原諸島の特産や文化を体感できるとても楽しい祭りでした。
産業祭は残念ながらこの年を最後におこなわれなくなってしまいましたが、それ以外にも年間を通して小笠原諸島ではお祭りやイベントが多数開催されます。2024年には、コロナ禍や悪天候で中止が続いていた「小笠原サマーフェスティバル」がついに復活。やぐらの設置や盆踊り、打ち上げ花火が実施され、楽しみにしていた島民や観光客でとてもにぎわいました。こうした祭りは、観光以上に地域文化を体感できる貴重な機会ですよね。もしもスケジュールが合えばお祭りに合わせて小笠原諸島を訪れてみてはいかがでしょうか。
たっぷりあるように思えた1ヶ月間の滞在も、気づけばあっという間でした。時間を惜しむように毎日とにかく外に出て過ごした日々。そんな生活のおかげで、私の顔を覚えてくださるお店や島民の方も増え、知り合いが増える度に、別れが名残り惜しくなるのが旅の常です。
最後にもう1つ、小笠原諸島の素晴らしい魅力をお伝えします。それは島を離れる瞬間の感動です。おがさわら丸が出航すると、多数の船が並走しながら海上からお見送りをしてくれるのです。離島では港での見送りはよくある光景ですが、これほど盛大にお見送りをしてくれるのは小笠原諸島だけではないでしょうか。


湾を出るまでの数分間。船から全力で手を振ってくれるあの人、聞こえてくる「いってらっしゃい!また来いよ!」の声。そして船からの飛び込み。1ヶ月間の思い出が走馬灯のように思い出され、目には涙が浮かび、とても感動的な光景でした。
私は小笠原諸島で出会った人々、豊かな自然環境、そして初めて知った文化。その全てに魅了された経験が、日常に戻った後も東京で仕事を頑張る原動力になりました。小笠原諸島の心地良さが忘れられず、その後も定期的にこの島を訪れるようになったのです。
多くの人にとって、小笠原諸島は特別な旅先であり、簡単には行けない場所でしょう。それでも、ハードルを乗り越えてでも訪れる価値がある場所だということが、この文章を通じて少しでも伝わっていれば幸いです。