塩飽水軍の歴史が息づく香川県丸亀市・本島へ――笠島の町並みと「人名」の誇りに触れる島旅
瀬戸大橋を望む瀬戸内海に浮かぶ、香川県丸亀市の本島。かつて塩飽(しわく)水軍が活躍した島には、塩飽勤番所や塩飽大工の建築、笠島の古い町並みが残されています。島で借りた電動自転車で史跡を巡り、江戸後期の古民家に一泊。島の食と人々との出会いを通して、歴史が今も暮らしの中で受け継がれていることを知る旅となりました。
塩飽諸島の各島へは、香川県丸亀市の丸亀港から渡ります。10時40分に丸亀港を離れた船は、穏やかな瀬戸内海を北へ進んでいきます。振り返れば丸亀の町が遠ざかり、右手には瀬戸大橋が長く連なっているのが見えます。やがて海の向こうに、なだらかな山を抱いた本島が近づいてきました。
本島は、塩飽諸島の中心的な島です。かつて塩飽の船乗りたち「塩飽水軍」は高い操船技術を誇り、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から海上輸送などの特権を認められてきました。島内には、その歴史を今に伝える塩飽勤番所や、塩飽大工が残した建築、古い町並みが点在しています。
瀬戸内国際芸術祭の会場としても知られていますが、今回歩いてみたかったのは、芸術祭の華やかさからは離れた、島の静かな日常と積み重ねられた時間です。
港に着いて、まずは待合所で電動アシスト自転車を借ります。この日は島北東部の笠島地区に泊まるため、あらかじめ2日分の料金を払えば翌日まで借りられるとのこと。ありがたいですね。荷物を背負って島を歩く身には、坂道の多い島で電動自転車ほど頼もしい相棒はありません。
まずは昼食を取ろうと、港のある泊地区で目星をつけていた店へ向かいました。ところが営業している気配がない。困って港の案内板を見直し、「島そだち」という食事処を訪ねてみました。
たどり着いたのは、一見すると普通の民家。ためらいつつ玄関を開けて中に声をかけると、気さくなお母さんが迎え入れてくれました。完全に人様の家の食堂に通してもらい席につくと、畑で育てた野菜を使った日替わり定食が運ばれてきました。旅先で食べる家庭料理には、その土地で暮らす人の時間が、そのまま盛られているような安心感があります。
店名のとおり、お母さんは本島生まれの本島育ち。結婚と仕事で一度島を離れ、引退後に戻って食事処を始めたそうです。食事をしながら、近年島で増えているイノシシの被害や、それをきっかけに畑をやめる人が増え、道まで荒れてきたことを聞きました。一方、瀬戸大橋が開通した頃には学校に子どもも先生も大勢いて、「放課後に先生たちと海辺で橋を眺めながら酒を飲んだのよ」と思い出を楽しそうに教えてくれました。そうか、瀬戸大橋はもうずっと前からそこにあった気がしていたけど、本島の人にとっては出来ていく過程も思い出に残っているものなのか、と感慨深く思いました。
泊地区の「塩飽勤番所」は、江戸時代、塩飽諸島を治めた「年寄」が交代で政務を執った場所で、国指定史跡です。館内には信長、秀吉、家康から与えられた朱印状や、塩飽水軍にまつわる資料が展示されています。海を自在に往来した船乗りたちの力が、島の自治と繁栄を支えていたことが伝わってきました。そもそもこの建物自体も1798(寛政10)年に建てられたもので、見どころも多いのです。港に戻る途中には、「年寄」宮本家の墓もありました。かつての繁栄を伝える遺構がいたるところにあります。
フェリーが着く港から海沿いを南西へ進んだところにある「木烏神社」は、塩飽大工が手がけた島内最大の神社です。笠木の両端がくるりと反った蕨手状の鳥居をくぐると、境内には古い制札場が残り、その奥には立派な拝殿、向かって左には木造の芝居小屋「千歳座」があります。
閉ざされた建物の外からでも、舞台を備えた立派な造りがうかがえます。後で宿の女将さんに聞いたところによれば、毎年11月の祭りには扉を開けて実際に使われるそうです。文化財として保存されているだけでなく、今も島の人が集う場所だと知り、ぜひともその姿を見たいと再訪を心に決めました。
夕方、この日泊まる笠島の宿「やかた船」別館に戻りました。建物は1805(文化2)年に建てられた古民家です。年月を経た格子戸や太い梁に囲まれていると、島の歴史の中に少し入り込んだような気がします。
夕食の膳では、大きなアコウの煮付けが待っていました。刺身や天ぷら、サザエのつぼ焼き、メバルの味噌汁も並びます。女将さんは市場に連絡し、その時々で状態のよい瀬戸内の食材を仕入れているそうです。なかでもアコウは宿でよく出る魚で、しっとりとした白身に煮汁が染み、実に美味しい一品でした。「笠島で、宿の台所を使って夕食まで出しているのは、おそらくうちだけでしょう」と女将さんは話します。
食事をしながら聞いたのが、塩飽独特の「人名(にんみょう)」についての話です。かつて塩飽の自治を担った船方の家々は人名と呼ばれ、その家筋は今も受け継がれています。女将さん自身もその一人で、現在は笠島の町並みを守ることが大切な役割になっているそうです。
歴史上の制度だと思っていた「人名」が、形を変えながら今も続いていることに驚きました。古い家並みは、保存地区に指定されただけで残るものではありません。そこに暮らし、建物を手入れし、訪れる人を迎える人がいて、初めて次の時代へ渡されます。昼間に塩飽勤番所で見た歴史と、目の前で話す女将さんの姿が、「人名」という一本の糸でつながりました。
食後には、宿の茶トラ猫にちゅーるをあげるという楽しい時間もありました。
翌朝、宿のある「笠島まち並保存地区」を歩きました。狭い通りの両側に、格子戸や虫籠窓を持つ家々が続きます。真木邸を活用した「まち並保存センター」には、塩飽が栄えた時代を伝える品々が展示されていました。集落の各所には共同井戸が残り、大きな屋敷には敷地内に井戸を持つ家もあります。
「尾上神社」は、塩飽大工の流れをくむ工業学校の生徒たちが建てたもの。拝殿と本殿は離れており、祭りの時だけ橋を渡す珍しい造りになっています。かつて境内には「尾上座」という芝居小屋もありましたが、今は礎石を残すのみ。木烏神社の千歳座が残ったことの貴重さを、ここであらためて知ります。
海岸近くの常夜灯から少し内側に、古い石垣が残っていました。まち並保存センターの人によれば、それは昔の海岸線の跡。今は家々の間を歩いている場所まで、かつては海だったそうです。
さらに集落外れの空き家には、目の部分に電球を仕込んだ明治期の大黒天の鏝絵(こてえ)も残っています。「専称寺」では法然上人ゆかりのお堂や年寄の墓を訪ねました。笠島地区は、歩くほどに何気ない路地の奥から別の時代が顔をのぞかせるので、いつまでも歩けそうな気がしました。
笠島の集落を離れ、長徳寺の先から「遠見山」へ登ります。この山は日本離島センターの「しま山100選」にも選ばれています。山道を進んだ先で視界が開け、青い海の上を横切る瀬戸大橋を一望できました。
港へ戻り、前日は閉まっていたカフェ「ホンジマスタンド」で、お茶をしつつ船を待ちます。窓の外には、「そのお菓子を自分も食べられそうな気がします」という顔でこちらを見つめる猫。やがて出航時刻となり、船は岸壁を離れました。
塩飽勤番所、古い家並み、神社、芝居小屋。それだけ見ても、本島は歴史の濃い島でした。ですが、一泊して心に残ったのは、それらを過去のものにせず日々の暮らしの中で受け継ぐ人たちの存在です。千歳座が開く祭りの日には、どんな声が舞台の中に響くのでしょう。次は、その扉が開く季節に戻ってきたいと思わずにはいられませんでした。