火山と生きる島で出会う、海と山の恵みを巡る旅「三宅島」
伊豆諸島の三宅島は、15〜25年周期で噴火が起こる火山の島として知られています。1983(昭和58)年と2000(平成12)年の噴火は記憶に新しく、噴火と全島避難が島に残した爪痕は、今も各所で見られます。今回の三宅島旅は僕にとって2度目。全島避難解除から20年ほど経った島を見る旅となりました。
旅の始まりは、いつも少しだけ浮足立った気持ちになります。金曜日の22時30分、東京・竹芝桟橋。黄色とオリーブ色の船体が夜の港に映える「橘丸」に乗り込み、僕は三宅島を目指しました。
三宅島を訪れるのは、この旅が2度目。前回訪れたのは2008(平成20)年のことでした。当時は2000(平成12)年の噴火による全島避難からの帰島が始まって数年しか経っておらず、島中が復興の途中だったのを覚えています。窓から見える木々は火山ガスの影響で白く立ち枯れ、時折風に乗って硫黄の匂いが漂ってくる。まさに「火山の島」に足を踏み入れたという緊張感がありました。
それから10年以上が経ちました。船が錆ヶ浜港に接岸したのは、まだ夜も明けきらぬ午前5時前のことでした。タラップを降りると、ひんやりとした島特有の湿った風が頬を撫でます。空はまだ濃紺で、うっすら光が差し始めたばかり。
港で迎えの車を待っていると、ほどなくして宿の方が現れました。伊豆諸島のフェリーは朝早く着きますが、宿のお迎えは船の時間に合わせて迎えに来てくれます。船の時間とともに生きている島だ、と感じることも多々あります。前泊の宿泊客がいなかったおかげで、5時過ぎにはチェックインさせてもらうことができました。部屋で少しだけ仮眠を取り、7時に用意してもらった朝食の味噌汁を啜ると、中には鮮やかな緑の明日葉が入っていました。その独特のほろ苦さが、僕の心を伊豆諸島の島・三宅島にやってきたと実感させたのでした。
朝食後、宿でレンタカーを借り、まずは島の北西にある伊豆岬灯台へ向かいました。白い灯台の背後に広がる青い海。ジオスポットの看板を読み込みながら、この島が幾度もの噴火を経て形作られてきたことを改めて実感します。
9時、予約していた「西野農園」さんを訪ねました。三宅島を代表する特産品、明日葉(アシタバ)の栽培現場を見学させてもらうためです。案内された畑には、驚くほど青々と茂る明日葉が広がっていました。
「明日葉はね、今日摘んでも明日には芽が出るほど生命力が強いんですよ」
そう教えてくれた西野さんの言葉通り、火山灰を含んだこの土地の栄養を吸い上げ、力強く葉を広げています。1時間ほど畑を見せていただいた後、加工場へ移動しました。ここでは最新の機械を使って明日葉を粉末にしたり、焙煎してお茶にしたりしています。
淹れていただいた明日葉の焙煎茶を一口。香ばしさと独特の風味がとても美味しい。しかもノンカフェインだそうで、いつ飲んでもいいのが嬉しいですね。ほかにも、島レモンや島唐辛子を使った独自の調味料「シマスコ」など、加工品のラインナップも豊富でした。厳しい自然環境の中でも、それを恵みに変えていく島の農業に頭が下がる思いで加工場を後にしました。
見学を終え、車を南へと走らせます。次に向かったのは、1983(昭和58)年の噴火で一夜にして出現したという「新鼻新山」。当時の噴火で噴き出した岩石や火山灰が積もってできた丘です。荒々しい黒い断面が海に突き出す光景は、地球の鼓動をそのまま形にしたような迫力があります。
お昼は錆ヶ浜港の待合所内「ここぽーと」にある「サバサンドカフェ」で、名物のサバサンドをいただくことにしました。(※現在は閉店/宿スナッパーに電話で注文可能) 脂の乗ったゴマサバとシャキシャキの野菜と、それを挟む島のパン屋「築穴製菓」さんのパンとの相性が抜群。ボリュームがありつつも、あっという間に完食してしまいます。
午後は、港からほど近い阿古地区にある「カフェ691」さんへ。店主の沖山さんは、カフェの運営だけでなく、島内でのボルダリング・クライミングの普及や、漂着したマッコウクジラの骨を使った伝統的なボーンカービング(骨角器作り)など、多才な活動をされている方です。
「島にいるからこそ、できることがある」沖山さんが語る、島での遊び方やものづくりの話は刺激に満ちていました。カフェで売られているボーンカービングのペンダントを始め、Tシャツやマグカップ、ボトルなどはどれも欲しくなるデザインばかり。「島に来ないと買えないアイテムも結構あります。できれば島に来て手にとって欲しいからね」とは沖山さんの言葉。噴火による全島避難も経験したからこそ「島で何ができるか」をずっと見据えているのだと感じました。
カフェを出ると日が傾いていました。日没前に、三宅島の象徴である「雄山」の林道を登れるところまで行ってみることにしました。
まずは1940(昭和15)年の噴火跡である北東部の「ひょうたん山」へ。今もはっきりと分かる火口の形に、火山の威力を思い知らされます。そこから少し南の「サタドー岬」を経て、いよいよ雄山へと続く道へ入りました。
車を走らせ、視界が開けると、そこには衝撃的な光景が広がっていました。背の高い木々が一切生えていない、剥き出しの山肌。かつてここには広大な牧場があり、牛たちがのんびりと草を食んでいたそうです。しかし今は、朽ち果てた牛舎や、文字の掠れた当時の看板が残るのみ。
10年以上前に来たときは、このあたりはまだ雄山から吹き出る火山ガスが立ち込める危険区域に指定されていて、立ち入ることすら叶いませんでした。かつての日常が噴火によって一瞬で奪われた事実を、沈黙する風景が何よりも雄弁に物語っています。
それでも、その荒涼とした風景には、新しい緑が芽吹いていました。噴火から20年近くが経ち、森が再生しようとする力。かつての牧歌的な光景を偲ぶのは切ないことですが、それを含めてこの島の真実なのだと、自分に言い聞かせるようにシャッターを切りました。
夜、夕飯を食べにドアをくぐった「リターノ」という店で、ライブを聴く機会に恵まれました。島外からもアーティストが訪れるというその場所は、音楽好きな島の人たちの熱気に包まれていました。
本当はこの店で夕飯を食べる予定だったのですが、ライブとかぶってしまい、ちょっとしたものしか口にできませんでした。また、演奏に夢中になっているうちに、気がつけば周囲の飲食店やスーパーはどこも閉まっている時間。結局その夜は夕飯にありつけず、お腹を空かせたまま眠りにつくことに。普通なら「失敗した」と思うところですが、「これも島旅の醍醐味だな」と妙にポジティブな気持ちだったのを覚えています。
そのおかげで、翌朝の朝食に出てきたカツオの刺身の美味しさは格別でした。香りよく、もっちりとした食感。島の魚はいつどこで食べても美味しいですが、やはり空腹の朝はさらに美味しく感じました。
島を離れる前、「土屋食品」さんへ向かいました。島の人や友人たちから「三宅島に行ったら必ずこれを買え」と念を押されていたものがあるのです。それが「島のり弁当」です。これで、帰りの船で食べる昼食は準備できました。
13時半に錆ヶ浜港を出港する橘丸に乗り込み、さっそく包みを開けました。一面に敷き詰められた岩海苔。一口頬張ると、その歯ごたえの強さに驚きます。噛み締めるほどに海苔の旨味がじゅわっと広がり、箸が止まりません。驚いたことに、食べ進めると下からもまた海苔が出てきました。贅沢な二層構造です。波に揺られながら食べる島のり弁は、明日葉と同じく島の豊かさを感じさせる味わいでした。
帰宅後、西野農園さんでいただいた摘みたての明日葉を、さっそく味噌汁にしました。部屋中に広がる明日葉の独特な香り。それは、三宅島の大地そのものの香りでした。
最初に三宅島を訪れた時、立ち枯れた木々と硫黄の匂いに圧倒された僕が見たのは、火山の「破壊」の側面だったのかもしれません。けれど今回の旅で出会ったのは、そこから力強く再生しようとする自然と、火山と共に生きることを選んだ人々の、静かだけど熱い情熱でした。
三宅島は、今も生きて、変わり続けている。また時折島にお邪魔して、どう変わっていっているのか見続けたいと、そんな気持ちで次の旅を想っています。