信仰が今も続く上五島―中通島・頭ヶ島の教会を巡る島旅
長崎県の西に連なる五島列島は、かつて潜伏キリシタンの信仰を支えた祈りの島々でもあります。今回は、2015年の春に訪れた旅から、前回レポートした下五島の福江島・奈留島に続く後編として、上五島と呼ばれる若松島、中通島、そして頭ヶ島の3島をご紹介します。
下五島の福江島や奈留島から、上五島の中通島・若松島へ渡るにはいくつかの航路があります。前回レポートした下五島旅で奈留島を訪れた後、奈留島港からフェリーオーシャンに乗って、若松島へと向かいます。3階フロアに上がると誰もおらず、貸切状態。デッキに出ると、春らしい青空の下、多島美が広がっていました。若松島と中通島をつなぐ若松大橋をくぐり、若松港に到着。奈留島から50分ほどの船旅でした。
上五島では、中通島の「青方」という町に宿を取っていました。ここ若松島の港から青方までは路線バスがなく、あらかじめ調べておいたタクシー会社に連絡。すぐに来てくれたタクシーに乗り込み、気さくな運転手さんのお話しを聞きながら、船でくぐった若松大橋を渡り、中通島に入ります。
車窓から眺める景色は、海と山が迫る急峻な地形に沿って続く入り組んだ海岸線。途中、海辺にひっそりと佇む「中ノ浦教会」が見えてきたので、車を停めてもらい写真を撮ります。運転手さんによれば「潮が満ちていれば水面に教会が映る美しい景色が見られるよ」とのこと。このときは干潮のため、次の機会に期待を残しました。
青方に着いて驚いたのは、その規模感でした。想像していた「集落」ではなく、銀行もスーパーもある結構な規模の「町」。タクシーを降り、宿にチェックインした後、夕方までの時間を使って町を歩きました。町中にある立派な作りの「青方教会」ではミサの讃美歌が聞こえてきました。古い町並みを縫うように続く道や、港に面した高台に通された階段もあったりと、歩いていて飽きません。
「得雄寺」では、江戸時代に青方に出入りする船を監視する船見役所があり、船に水を分けていたという「番所井戸」も残っています。青方の歴史の深さを感じました。古い町並みや史跡などが残る一方で、23時まで営業している大きなスーパーがあったり、飲食店も結構あります。21時まで利用できる公営の温水プールまであり、便利に暮らせそうという印象があるのも面白かったです。
夕飯は、宿近くの居酒屋を教えてもらったのですが、満席だったのに常連の方に相席させてもらい、店の大将や女将さん、常連さん、僕と同じ旅人の男性や学校に通っている女性なども交えて、島の見どころや良さを存分に教えてもらいました。「九州の色んなところに転勤してるけど、ここは本当にいいところ。最初は離島なんてって思ったけど、3年目の今は楽しくて帰りたくない。釣りの師匠は大将で、大物もよく釣れるよ」と常連さんが嬉しそうに話していたのを今でも思い出します。
翌日は、レンタカーを借りて中通島の教会巡りへ出発。島は十字架の形をしており、青方はその左肩付近。縦軸にあたる北部に多くの教会が点在しています。北上しながら教会に寄り、中通島の北端を目指します。
最初に訪れた「大曽教会」は、教会建築の父と呼ばれる鉄川与助の設計・施工で、1916(大正5)年に建てられたレンガ造りの教会。重厚な外観とともに、内部のステンドグラスやアーチ天井が印象的でした。続く「冷水教会」は、鉄川与助が独立後初めて手がけた木造教会で、素朴な佇まいながら、内部は4分割されたリブヴォールト天井は当時としてはかなり斬新な構造だったそうです。大曽教会も冷水教会も、海を見下ろすいい場所に建っているのが印象的でした。
冷水教会から北上すると、「矢堅目」という岬に出ます。奈摩湾の入口に位置し、外敵の侵入を監視する場所でもあったそう。今では公園が整備され、奇岩・矢堅目で分けられた東シナ海と奈摩湾を一望できる、風光明媚な場所になっています。
矢堅目から少し南に戻ってから、今度は島北部の新魚目地区へと続く道を進みます。左手に海を見ながら起伏のある道を進むと、堂々たるレンガ造りの教会が見えてきました。「青砂ヶ浦天主堂」です。教会では今まさに結婚式の最中で、入口から花嫁が新郎のところに向かう瞬間がちらっと見えました。邪魔しないよう、教会の建物を写真に収めて敷地を後にしました。ちなみに、この教会も鉄川与助の設計・施工。独立後に手掛けた3つ目の教会です。
続いて訪れた「曽根教会」は3代目の建物だそうですが、2代目は鉄川与助が初めて教会建築に携わったもので、この教会を設計・施工した野原棟梁の元で、修行することになったそう。ここからはいい夕日が見られそうでした。
曽根教会からは舗装されてはいますが、軽自動車が辛うじてすれ違える程度の細い道になっていきます。山の上を通るところが多く、時折木々の隙間から海が見晴らせます。「大水教会」も「小瀬良教会」も、海を一望できる山腹の好立地に建っており、それぞれの景観が印象的です。やはりその集落の一番いい場所に建てられている気がします。
小瀬良教会からさらに道を北上すると、山の斜面を切り拓いた集落が見えてきました。「江袋教会」はそんな眼下に海が広がる場所にありました。2007年の火災で焼失し、2010年に元の場所に同じ姿で復元されたのが、今見ている教会です。焼けずに残っていたら、実に130年以上の歴史を誇る「実際にミサが行われている、国内最古の木造教会」だったといいます。奈留島の江上天主堂よりもさらに古かったと考えると、本当に惜しいですね。木造で瓦葺きの教会堂は、復元と言えども風情がありました。
江袋教会から、細く山がちな道をさらに北に進んでいて、ふと「よくこんな場所で暮らしていたな」という思いが湧いてきました。でも、なかなか来られない人里離れた場所だからこそ、潜伏キリシタンたちが信仰を守ってこられたのでしょう。
「赤波江教会」や「仲知教会」、最北端の「米山教会」は、どれもユニークな作りですが、信徒の方々の寄付、それも1軒当たり相当な額と労働奉仕の末、完成した教会ばかりです。
米山教会を過ぎ、しばらく行くと中通島の北端にある「津和崎灯台」に到着しました。灯台からは、次に訪れる予定の小値賀島と野崎島が間近に望め、特に野崎島は泳いで渡れそうな距離に感じました。ここに来るまで見た海は、南の島にも負けないほど青く美しかったのが、今も脳裏に焼き付いています。帰路に立ち寄った「丸尾教会」でも、人々の祈りの積み重ねを感じました。
島北部の教会巡りから戻ってきて、午後は中通島随一の町・有川で昼食をとりつつ、前日に島の人にオススメされた「蛤浜」へとやってきました。すぐ近くに島で一番の町があるのに、遠浅の青い海と白砂が広がるその風景は、まさに絵に描いたような美しさ。波打ち際に立って、穏やかな海にしばし心を預けました。写真を撮っていると「こんにちはー!」と言いながらやってきたのは、昨日の居酒屋でこの浜を進めてくれた女性でした。サーフィンの練習をしているそうで、せっかくなので帰る後ろ姿を1枚撮らせてもらいました。
この日の日暮れまでに行きたい場所がまだありました。中通島の西に橋で繋がった「頭ヶ島」という島があります。訪れたこの時はまだ「候補」でしたが、現在は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島集落」がある島です。
頭ヶ島には、西日本で唯一の「石造り」の教会で、世界遺産の構成資産のひとつでもある「頭ヶ島天主堂」があります。1919(大正8)年に鉄川与助の設計・施工で完成した教会は、頭ヶ島やすぐ北にあるロクロ島で、「五島石」と呼ばれる砂岩を切り出し、積み上げて作り上げたもの。壁面に漂う武骨さは、この日見てきた他の教会のどれとも違っています。堂内は白い壁、水色の梁の天井に椿のような意匠が並び、「花の御堂」とも呼ばれる可憐さが、外観とは対称的でした。
旅3日目、上五島での最終日です。宿の支配人さんに最後に何を見たらいいか、と聞くと「桐教会はいいですよ」と教えてもらいました。まずは、青方から南下して「真手ノ浦教会」へ。
そして、最後に向かったのは、島南部の入り組んだ海岸瀬にある海辺の集落・桐古里郷にある「桐教会」です。川と見間違うほど狭い瀬戸に面した小高い丘に建つ白い教会は、まるで海を見守っているかのようでした。この日は残念ながら曇りだったのですが、晴れていればこの浅い瀬戸が青く輝いて、丘に建つ教会の姿も相まって絵画のような風景を作り出したはず。それほど印象的な場所でした。
旅の後で知ったことですが、この桐古里郷には今もカトリックではなく潜伏キリシタン時代の信仰を守る方々がいらっしゃるそうです。自然と人、歴史と信仰が折り重なった「上五島」の旅。訪れた教会の数だけ、静けさと祈りの景色がありました。潜伏キリシタンの信仰の歴史をもっと勉強し直して再訪したいと思いつつ、上五島を後にしたのでした。