OTHER 2025.05.21

隠岐・島前を歩く 海士町と西ノ島の絶景を巡る旅

島根県の日本海側に浮かぶ隠岐諸島は、東の島後と、西に12キロ離れた3島からなる島前(中ノ島・西ノ島・知夫里島)に分かれています。火山由来の島々で起伏に富んだ景観がいたるところで見られる隠岐を、5月に7日間かけて歩きました。そのうち、島前の中ノ島(以下、海士町)と西ノ島のレポートをお届けします。

井月 保仁 [いづやん]
(島旅フォトライター)
いづやんのペンネームで活動する島旅フォトライター。大学在学中に訪れた小笠原で島に魅了され、以後ライフワークとして日本の離島を巡り、島旅ブログ「ISLAND TRIP」にて旅の様子を書き綴る。島の魅力を伝えるべく、Webメディアや雑誌、イベントなどで活躍。有人離島182島を巡っている(2025年5月現在)
初日の船に乗り遅れ、島後から海士町へ

島に行く前に台風が来て行けないことは何度かあるのですが、目前で船に乗れないことはなかなかありません。しかし、隠岐諸島への旅ではそうなってしまいました。米子空港到着後、バスもタクシーもなく、乗り合いでなんとか七類港へ。しかし9時のフェリーには間に合わず、島前に先に行く逆回りの9時30分の便に乗ることになりました。結果、初日の島後には4時間遅れで到着。あまり時間が取れませんでした。

島後の西郷港からフェリーに乗り、50分ほどでお隣の島前の海士町は菱浦港に到着。海士町は「中ノ島」という島の自治体名ですが、島内外から海士町と呼ばれています。地方創生や地域おこしの先進地として海士町という名前の方が有名です。ターミナル内に掲げられた「ないものはない」は、「無くてもよい」と「大事なことはすべてある」の二重の意味をもつ、海士町らしい言葉です。

島に着いてレンタカーを借りまず向かったのは、後鳥羽天皇を祀る「隠岐神社」。創建は1939(昭和14)年と非常に新しいですが、後鳥羽天皇の火葬塚の隣に作られ、歴史の重みは感じられます。拝殿は隠岐造と呼ばれる様式です。連休中でも人はほとんどおらず静かな中、拝殿で手を合わせて旅の無事を祈ります。

お昼は船渡来流亭で

お昼は港のキンニャモニャセンター2階にある「船渡来流亭(せんとらるてい)」へ。白イカ(ケンサキイカ)の刺し身と海士町のブランド岩牡蠣「春香」がセットになった定食を頼みました。この春香という岩牡蠣、以前都内の飲食店で食べてあまりに美味しかったので、名前を覚えていたのです。育てている島で食べることができて実に感慨深い。もちろん、濃厚な潮の香りと味わいで食べ終わりに寂しさを感じたほど。

宇受賀の田んぼと宇受賀命神社

午後は、島の北にある変わった名前が気になった「宇受賀命(うづかみこと)神社」に向かいます。休耕田が多い島が多い中、途中で見かける田んぼが手入れされていて、水が張られていました。ターミナルでも海士町産のお米が売られていたのを思い出します。宇受賀命神社は、田んぼに囲まれた参道の先に、鎮守の森を従えて佇んでいました。秋には稲穂が揺れる絶景になりそうです。

神社そばには広場と休憩所があり、年配の方がグラウンドゴルフをしていました。声をかけたら「寄っていきなさい」とお茶に混ぜてもらうことに。「遊んでいる田んぼがほとんどないですね」と言うと、みなさん色々教えてくれました。「島中の田んぼを世話してくれる若い人のグループがあって手伝ってくれるんだよ」とのこと。年配の農家さんだけではカバーできないところも、島内で若い人が互助の仕組みを作っているのだとか。色んな島で荒れた田畑を見てきましたが、この話で心が少し温かくなりました。それにしても、みなさんなんだか楽しそう。宇受賀命神社の佇まいもあり、この島で一番印象に残っている場所となっています。

先生に案内してもらう

お茶に混ぜてくれた年配の中で「先生」と呼ばれている方が、「その辺を案内してやろう」とあちこち連れて行ってくれました。

宇受賀命神社のすぐ北の宇受賀港では、ガイドブックにも載っていない舟小屋が残されていました。舟小屋は当時の姿のまま、今でも使われているのだそう。素朴な小屋が海に立つ姿は、かつての港の生活を想像できて写真を撮る手にも力が入りました。さらに、火山噴火の名残が見られる「明屋海岸」や、ツツジの参道が美しい「奈伎良比売(なぎらひめ)神社」にも連れて行ってもらえました。どこも人がほとんどおらず、だからこそ静かで雰囲気の良い場所ばかりでした。お茶の時「島の人しか知らない所、ないですか?」と聞いた時はみんな首を傾げていましたが、あるじゃないですか!と、先生の後ろでニヤついていました。

夜は泊まった民宿の夕飯で、海士町産のお米や、岩牡蠣春香、島の海の幸をいただき、満足しながらの床についたのでした。

島前の海の中を拝見

旅の2日目は「海中展望船あまんぼう」に乗ります。観光協会の方がガイドとして乗船し、色々説明してくれます。あまんぼうは上部がオープンデッキ、船体内に水中展望室があります。菱浦港を出発し、まずは無人島のカズラ島のそばを通ります。ここは日本で唯一の散骨島だそうで、島内に自然散骨所が設けられているのだとか。やがて船は「三郎岩」に近づきます。大きな方から太郎、次郎、三郎、と呼ばれています。その後は船内に入り、海中展望の時間です。中は近未来的な内装で、窓とシートが設けられていて、落ち着いて海を見られます。天気がいいので、生い茂ったホンダワラの間を泳ぐメバルが間近に見られて面白かったです。遊覧時間は45分ほど。思ったより充実していました。

お昼は港の前の「島生まれ島そだち隠岐牛店」へ。「隠岐牛3点盛り焼肉ランチ」を注文しました。隠岐牛とは、海士町で生まれ育った未経産の黒毛和牛の雌、かつ格付け4等級以上のものでブランド認定されたものを指すそう。運ばれてきたお肉は、どれも見た目ほどしつこくなくて柔らかく実に美味しかったです!

海士町最南端の崎集落へ

午後は海士町の南へ。島中央部を北から南に抜ける道を移動していて「これは山の稜線の上かも?」と気が付きました。この稜線は島前カルデラ外輪山の尾根筋で、巨大な火山が陥没してカルデラとなり、後で中央火口丘である西ノ島の「焼火山(たくひさん)」ができたのが、目の前の内海だったのです。地図で見ると、海士町、西ノ島、知夫里島はそれぞれ外輪山に当たる部分なのがよく分かります。ここは火口の縁なのです。

島前の成り立ちに思いを馳せた後は、島南端の「崎集落」や「木路ヶ崎灯台」へ。崎集落は静かな港とその周りのこぢんまりした集落の雰囲気が歩くのにとても良い場所でした。海士町最南端の木路ヶ崎灯台のそばに立つと、正面には知夫里島、右手には西ノ島が見えます。ここも島前カルデラを体感できる場所でした。

お隣西ノ島へ

旅の3日目は、海士町から西ノ島へ。急速に風が強まる予報のため、朝の島内放送で高速船欠航のお知らせが流れました。悩んだ末、予定通り午前中のフェリーで西ノ島へ渡ることに。フェリーしらしまに乗り、15分で西ノ島別府港に到着も、着くなり雨が降ってきました。雨で何もできないのも困るので、慌てて観光バスに乗り込みます。天気が急激に悪くなる中、「由良比女神社」や「国賀海岸」をバスは巡り、浦郷港で僕らを下ろしました。

「明日は全船欠航」と聞き、僕も悩みましたが、明後日には船は出ると船会社が言うので、予定通り明後日まで島に残ることに。島旅は船の欠航と隣合わせ。慣れてはいるものの、この決断には毎回落ち着かない気持ちになります。

宿での夕食は客が自分ひとりにも関わらず、色々出してくれました。どれも美味しかったですが、一番の出色は地味な海藻の煮物。あまりに美味しかったので女将さんに聞くと、「それはこの辺りではジンバと呼んでいて、ホンダワラです」とのこと。海士町のあまんぼうで見たホンダワラだったのです。神馬草(じんばそう)と呼ばれることもあるので、ジンバと呼んでるんですね。

台風並みの強風でも、絶景の連続

翌日は台風並みの風で船が欠航し、予定していた知夫里島には行けずじまい。それでも空は綺麗に晴れたのでレンタカーを借り、張り切って西ノ島散策へ繰り出しました。隠岐国一宮の「由良比女神社」はさすがの風格。目の前の浜は「イカ寄せの浜」といい、毎年秋になるとイカが押し寄せていたそう。イカは1945(昭和20)年頃を境にあまり浜に寄せることはなくなった、とのこと。残念ですね。

次は、西ノ島随一の景勝地へ。国賀海岸と呼ばれる荒々しい断崖が続く島西側の海岸、その中でも、摩天崖は海面から約260メートルもの高さでそそり立つ断崖です。強風の中、少しずつ進んでいくと、摩天崖の周辺には放牧されている牛や馬がいました。さらに南の通天橋は、何千年と波に洗われてできた海蝕洞で、まさに橋のよう。真っ青な海と空に、泡立つ白波が雄々しい景観を作っています。

鬼舞展望台から知夫里島を望む

他にも絶景がないかと思い、島の南西に鬼舞という地名を見つけたので、車を走らせます。海沿いから山の道に入って15分ほどすると、牛や馬の移動を制限するテキサスゲートが道を区切っているところを通ります。ゲートを越えるとすぐに「鬼舞展望台」の駐車場でした。

車を降ると、放牧している馬の厩舎と、かつて隠岐の島々で行われていた「牧畑と間垣」の看板がありました。牧畑は放牧と畑作を4年で輪作する世界的にも珍しい農法で、1960年代まで行われていたそうです。石垣で4つに区切られた畑で、それぞれ麦、大豆、小豆、粟などを1年ごとに栽培、4年目に牛を放牧して一巡する珍しい農法です。島で牛や馬を見かけたのは、この農法の名残でもあったのでしょう。

行く先に見える小高い丘を登っていくと、この旅一番の絶景が待っていました。丘の天辺に広がる草地にたくさんの馬が散らばっていて、そこここで草を食んでいます。その向こうには、この日行くはずだった知夫里島が広がっています。「知夫里島には行けなかったけど、この景色が見られたから、結果オーライだ」と思わず独り言が出るほど、素晴らしい景色でした。禍福は糾える縄の如しとは言いますが、「島旅は欠航しても、良いものだ」とこの時ばかりは心から思えたのでした。