時の流れを感じる
数々の古墳群からなる島

SHIMA INFORMATION

九州・沖縄エリア/ 長崎県

前島 まえじま

面積
約0.263㎢
人口
約5人(2020年時点)
観光スポット
前島古墳群
特産
みかん、ぶどうなど
アクセス
公共交通機関による航路なし
URL
https://www.town.togitsu.nagasaki.jp/index.html

前島 maejima

海や山の自然に囲まれて暮らす島
干潮時だけ砂州が現れダケク島と陸続きに

前島は、長崎県西彼杵郡時津町子々川郷(ししがわごう)の海岸から200m沖合に浮かぶ周囲約4.2kmの入り組んだ島です。東西約900m、南北約650mほどの大きさです。2世帯が居住する有人離島で、公共交通機関による航路はなく、本土との連絡は子々川船着場から自家用船を利用しています。結晶片岩からできている島で、高い山もなく周囲にみかん畑が開かれています。かつては入江を利用して真珠の養殖が行われていました。島には、6~7世紀のものと思われる古墳群がある長崎県内の本土では数少ない古墳群です。前島古墳群からの出土品は、有力者達の墓地で死者とともに埋葬されたものであったと考えられていますが、当時の人たちの生活根拠地、生活形態などは今のところははっきりと解明されていません。

島には数々の遺跡前島古墳群が存在
異なる時代の遺跡を楽しめる

前島は第二次世界大戦後、食糧難の時期に国策として引き上げ者の入植が行われました。山を開拓し、みかんなどの畑が作られました。1960年代ごろ、工事費の1/3を島民が自己負担をし、電気と電話を確保しました。郵便物は対岸に設けた小屋で受け取っています。前島古墳群は縄文・弥生・古墳と時代の異なる遺跡が複合している可能性がある希少な古墳群。島にある古墳群は、第1号墳~第8号墳までの計8基の円墳があり、戦後の当時の入植者の開墾作業によって壊された古墳もありますが、出土品の一部は残されています。遺跡がある前島は、島全体が結品片岩で覆われており、ところどころに石英脈も発達しています。石英は古墳の石棺や弥生の箱式石棺の原材料として使用されていました。古墳の現地で材料を入手できる環境であったことも、前島に墓地群が形成された大きな要因といわれています。

今にも落ちそうに見える巨石の継石坊主
伝承されている踊りが多くある時津町

時津町の旧跡は前島古墳群のほかにもあります。元村郷の「継石坊主」は、今にも落ちそうに見える岩として知られています。別名「鯖くさらかし岩(さばくさらかしいわ)」とも呼ばれる奇岩で、国道206号沿いの山の斜面に立っており、四季折々の表情を見せます。左底郷にも「隠れ岩」と呼ばれる岩があります。戦国時代に左底の谷をはさんで2つの軍による戦いがあり、このとき一方の軍が陣取った岩のことを「隠れ岩」と呼ぶようになったといわれています。また時津には、伝承されている踊りがいくつかあります。左底郷の「銭太鼓浮立」は、諫早の干拓地で生まれた踊りで、左底郷に伝わったといわれています。左底郷の地元の方々が芸能保存会をつくり、伝統を受け継いでいます。野田郷の「黒丸踊り」は、大村の黒丸郷に伝わる踊りと同じもので、時津が大村の殿様の領地だったころにはじまったといわれています。浜田郷の「浜田浮立」は、江戸時代の終りごろ諫早から大村を経て、浜田郷に伝わった「雨乞いの踊り」といわれています。西時津郷の「志賀団七踊り」は1927年、佐賀県の宮原与三郎氏によって伝えられた「仇うちの場面を再現した踊り」です。子々川郷の「浦安の舞」は古式ゆかしい衣裳を身にまとった小学校高学年の女の子が、おごそかに「舞」を披露します。

太陽の光をたっぷり浴びたみかんや
甘みと酸味がほどよい巨峰は時津町の特産

前島ではみかん、ぶどうが特産品として有名です。太陽の光をたっぷりと浴びて育ったみかんと、甘みと酸味をほどよく含んだ巨峰は格別。時津町の名物としては、皮とあんこのバランスが絶妙な時津まんじゅうがよく知られています。時津の地名の起源についてですが、鎌倉時代には既に使われていたといいます。大昔から日本では縁起のよいものとして 「時つ」という言葉があり、お祝いや幸せを意味していました。時津という地名には、宝物を積んだ船が満ち潮に乗って、沖から吹く風で運ばれる港という意味が込められているといいます。また、時津町は「時」という文字が使われている唯一の自治体ということで、時を楽しむ時津町というキャッチフレーズで、町を紹介しています。

情報提供 / 時津町役場

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イベント情報はもちろん、季節ごとに移り変わる島のリアルな情景をお届けできたらと思います。
様々な表情を見せる島の日々をお楽しみください。