伝統の大島紬を後世に伝える挑戦
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奄美大島鹿児島県
株式会社大島紬村
越間 教裕
KYOYU KOSHIMA
上京後Uターンで奄美大島へ
家族で大島紬の魅力を伝える現在
祖父の代から続く大島紬(奄美大島が発祥の絹織物)を製造する家に産まれました。私が小さな頃は、大島紬の最盛期で夜中まで工場が動いていたことを覚えています。学校帰りによく工場で遊んでいたことも思い出ですね。でも、日本の伝統に興味がなかった自分が大島紬に関わるとは全く思っていなくて、高校卒業後は夢を叶えようと東京へ上京しました。東京での暮らしも楽しかったですが、生まれ育った奄美大島へUターンすることに。家族経営で大島紬を製造していたので必然的に私も手伝うようになって今に至ります。現在、経理や広報を担当していて、兄はデザイナーとして織物設計を、姉は販売を担当しています。
職人の技術が織り成す芸術品
観光と組み合わせることで後世に
大島紬は世界でも唯一の泥染めという染色方法を使って染めていますが、それは大島紬の一つの特徴であって、定義は手織りです。機械織りは一定の力ですが、職人による手織りは力の強弱を絶妙にコントロールできるので、独特の風合いになるんです。また、糸に直接色を付けてから織り上げる先染めという技法を使っているので、完成した生地は裏表がありません。大島紬は150~200年着られる丈夫な織物と言われていますが、それはたとえば祖母から母、娘へと受け継いでいくときに裏返して仕立て直すことができるからなんです。
大島紬の製造工程は複雑で30~40の工程があるので、分業制になっています。元々は市街地の工場を中心に、作業所が点々と違う場所にありました。現在は着物の製造だけでは厳しくなってきた事情もあり、現在の龍郷町に作業所を全て集約して、製造工程を見学したり、泥染め体験ができたりする観光スポットとしても展開するようになったんです。着物の他にも洋服、アロハシャツ、帽子、財布、メガネケースなど色んな製品に応用して、お土産として販売するなど、大島紬を後世に残していくためにさまざまな工夫をしています。
伝統の敵は伝統だった!?
新しい視点で伝統を再構築する挑戦
着物にはランクがあるんです。結婚式などで着用する「礼装」が最も格式が高く、カジュアルになるにつれて「準礼装」「盛装」「普段着」と4つのランクに分かれています。大島紬を含む紬は、元々は屑糸を手で紡いだ荒い織物という意味なので「普段着」に分類されるんです。でも、大島紬は大正時代の半ばに高級志向を目指して糸を全て絹糸にするなど品質が高くなっていて、今では世界三大織物の一つに数えられています。紬という名前にしてるだけでランクが下がり、正式な場所では避けた方が無難とされるのが歯痒いですね。
また、大島紬は着物なので、着付けの知識が必要です。購入いただく際にそこがハードルになっていると感じています。一度でも着ていただければ、絹のなめらかな肌触りや衣擦れの音に魅了されるはずですし、軽いので長時間着てても疲れない点や着崩れがしづらい特徴は着物にぴったりです。もちろん着付けの面白さもあるんですが、西洋のドレスやチャイナドレスのように、ワンタッチで着られるような着物を考えれば、もっと色々なシーンで気軽に着ていただけるんじゃないかなと思っています。伝統を残していくためには、伝統的な習わしや固定観念が最大の壁になるので、これからも新しいことに挑戦して、そこを覆していきたいです。
奄美大島生まれ。東京から島へUターン後は、家族で運営する本場奄美大島紬の観光庭園である大島紬村で経理・広報を担当。奄美大島の伝統工芸である大島紬の魅力を発信し、伝統の継承に尽力している。