島産島消を目指した
“共創”商品で島々をつなぐ
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屋久島鹿児島県
株式会社アイランドコーポレーション
荒木 政孝/荒木 真理
MASATAKA ARAKI/MARI ARAKI
東京から屋久島へ
“送る側”から“受け入れる側”に転身
政孝:もともと東京の旅行会社に勤めていて、九州や沖縄方面のツアーの企画を担当していたことから、仕事を通じて初めて屋久島に足を運びました。山の深い緑や海の青、そしてその自然の中で息づく人々の暮らしと文化の調和に強く惹かれ、何度も通ううちに島との関係が生まれていきました。退職後は「旅行者を送る側ではなく、受け入れる側をやってみたい」という想いが芽生え、ちょうど屋久島の会社から声をかけていただいたことをきっかけに、島への移住を決意しました。
真理:主人が離島に住んでみたいと思っていることは日頃から聞いていたのですが、私も東京で仕事をしていてとても充実していたので、このまま都会で結婚して子育てをしていくんだろうなと漠然と考えていたんです。結婚式の日取りが決まった後くらいに屋久島の話が出て、驚いたというか、いよいよその時が来たという期待と不安で胸がいっぱいでした。
政孝:当初は、他の島への移住の選択肢も考えましたが、最終的に心が動いたのは屋久島の風景でした。山裾に広がる集落や、霧が立ちのぼる朝の海辺、そんな瞬間に見える美しさが忘れられず、「この島で暮らしてみたい」と思ったんです。
夫婦での新たな挑戦がはじまる
真理:移住の話がでるまで屋久島に訪れたことがなく、初めて訪れた時は大きな海と緑の深さに圧倒されました。県道沿いには時々鹿が顔を出すこともあると。それまでコンビニがあるのが当たり前と言う便利な環境にいたので「ここで暮らせるのかな」と不安も大きかったんです。それでも「せっかくご縁をいただいたのだから」という前向きさで島に渡ることを決意しました。
政孝:私は屋久島の交通グループに所属し、観光関連の業務に携わる中で、屋久島の産業に関わる様々な方達と知り合うことができました。そして、物販を通じて地域とつながることの面白さに目覚めました。
真理:何か自分ではじめたいというのはずっと前から言っていたので、私は早く実現したらいいなと思っていました。なので、やっと始まるんだなって思いましたね。
“お土産”の常識を変える
屋久島発「ぷかり堂」を開業
政孝:移住から1年半後、私たちは屋久島に自分たちの店「ぷかり堂」を立ち上げました。自宅の敷地に建てた3坪ほどの小さな小屋からのスタートでしたが、「自分たちが屋久島で暮らす中で、大切な人に胸を張って贈ることができるギフトが欲しい」という思いだけは強くありました。
真理:そこで「自分が友人に贈って誇れるもの」「この島に暮らしていることを誇りに思えるもの」を基準に、屋久島産や島内事業者の手によって作られた商品だけを厳選。屋久島の素材・想い・デザインがきちんと詰まったものだけを扱うことを決めました。
政孝:夫婦で夜遅くまで話し合い、商品の選定やコンセプトを固めながら、少しずつお客様に共感してもらえる店へと成長していったと思います。まだ「お土産」というものに対して明確なコンセプトを求められることが少ない時代でした。しかしながらお客様の意識も成熟し、お土産一つにもどんな想いが込められているのか、ストーリーがあるのか渡した先にどんな喜びを伝えられるのかということを大切にする方が増えてきました。
MADE IN 屋久島から
島々をつなぐ“共創”のカタチへ
政孝:「MADE IN 屋久島」という理念のもと、私たちはできるだけ島の素材と島民の手によって作られた商品を生み出していきました。しかし、人口減少や高齢化が進むなかでは、店や商品が周知され発注量が増えてくると、製造量や人手が追いつかず、「もう作りきれない」と言われるほど生産者の負担が大きくなっていったんです。
真理:良かれと思って続けたことが、いつしか地域を疲弊させてしまう――そんな現実に直面し、自分たちで工場を持って製造するか、理念を破って都会で作るかの選択に頭を悩ませていたんです。
政孝:そんな矢先、コロナ禍の時期に、鹿児島県の取り組みとして、鹿児島の離島同士がつながる機会をいただきました。イベントや商品づくりを通して、島と島、人と人との距離が少しずつ縮まり、いつも海の向こうに見えていたお隣の島に、こんなにも面白くて、あたたかい人たちが住んでいたのだと知りました。それ以来、海の向こうに見える島々が、ただの風景ではなく、大切な仲間のいる場所に変わっていきました。一緒に活動することが増え、コラボ商品の開発も進み、u2028気づけば、お互いの事業の悩みや課題を語り合い、支え合うような関係へと育っていったのです。
「屋久島の中でどうにかしなきゃ」と思っていたことも、「周りの仲間の島」の力を借りることで、こんなにも軽やかに動き出すのだと感じました。それなら、「地元」という言葉の範囲を、もう一度、私たちなりに描き直してみよう。u2028そんな思いから生まれたのが、SANROKU株式会社です。
真理:商品づくりの広がりもさることながら、離れていても想いを寄せ合える仲間がいるというのは、なんて豊かで、心強いことなんだろう——。
今もその実感を、日々噛みしめながら歩んでいます。
東京の旅行会社での勤務時代、九州や沖縄方面のツアーの企画を担当。ツアー先のひとつだった屋久島の魅力に触れ、夫婦で移住を決意。移住から1年半後に屋久島の美味しい、かわいいを集めたお土産屋さん「ぷかり堂」を運営する株式会社アイランドコーポレーションを設立。現在は近隣の離島間をつなげるSANROKU株式会社も運営している。