熱い想いとエナジーで島の未来を切り拓く

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沖永良部島鹿児島県

一般社団法人シマスキ

窪田 貴史

TAKAFUMI KUBOTA

沖永良部のために頑張る
かっこいい大人を見て育った少年時代

沖永良部島で生まれ育った僕は、小学生の頃からサッカーをしていて、わんぱくな少年でした。先生や友人の親、地域の方に褒めてもらったり、時には怒ってもらったり、今思えば島の方みんなに育てられたという思いが強いですね。高校生になると周りは進路を考え始めて、99%くらいは進学や就職で島を出ますが、僕は最後まで島から出るという想像ができませんでした。先生に進路を相談していく中で、僕が沖永良部島への想いを熱く語っていたことから、他県にある公立大学の地域創生学部を勧めていただいて、進学しました。
子どもの頃から親や先生、役場の方々が、沖永良部のために頑張っているかっこいい姿を見て育ってきたので、島を出る時から島に戻ることは決めていました。

島へ帰ってきて始めた
「シマ桑青汁」事業

就職活動が始まる頃、少し休学してフィリピンに住んでみたり、東京へ行ってみたりして過ごしていました。就職活動も思ったように進まなかったんですが、“島に関わっていきたい”という想いはずっと持っていて、仕事があるかどうかもわからない状態でしたが、まず島に帰ってみようと思いました。
島で就職していた同級生に勧めてもらった仕事の一つが「シマ桑青汁」でした。知名町でシマ桑の栽培・加工・販売まで行う事業に携わりたいと思って入りました。
「シマ桑青汁」は、町役場が島の農家さんからシマ桑を仕入れて、青汁に加工して販売するという取り組みで生まれました。僕が携わり出した当時は、販売ルートが確立できていなくて、事業的に上手くいっていない状況でした。飲み会などに顔を出して直接「シマ桑青汁」の効果を伝えたりなど、いろいろと工夫することで、現在ではなんとか軌道にのせることができました。これからも「シマ桑青汁」だけでなく、沖永良部島の活性化に貢献していけたらと思っています。

生まれ育った島へ貢献したい
継承していく島への熱い想い

「なぜそんなに島にこだわるのか」「なぜそこまで島が好きなのか」、大学生くらいからずっと考えていたんですが、僕は島に育ててもらって、島の人や場所が好きだし、その島に関わることで恩返しがしたいという想いが強いんです。もう一つは沖洲会との出会いです。大学時代に参加して活気を感じて伝えてくれたのは親友の吉田というものです。
私は高校時代、沖永良部高校サッカー部として初の関西遠征に参加しました。その際には、沖洲会館での宿泊や食事提供など、手厚いサポートを沖洲会の方々にして頂いた。その後島を出てからシマが恋しくなった時に沖洲会のことやあの温かさを思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになったと同時に、若いメンバーでもそのような流れをつくろうと思いました。
もちろん沖永良部島へ貢献するには、歴史をもっと知らなくてはいけないし、他の島のことも勉強しなければなりません。先輩方からは根掘り葉掘り色んなことを聞きたいですし、後輩たちには眠たくなっても伝えたいことがたくさんあります。この数値化できない沖永良部島への想いを、これからは形にして子どもたちへ繋いでいくというのが僕の目標です。

”エラブが好き!”を形にできる団体
「一般社団法人シマスキ」を設立

これまで島の取り組みにはボランティアとして参加していましたが、5年後、10年後、年を重ねても島のために続けていきたいという想いが強くなり、2023年3月に「一般社団法人シマスキ」として法人化しました。『沖永良部島に関わるヒトたちの”シマ”が”スキ”という想いを”カタチ”に』を理念に掲げて、沖永良部島のPR活動や、島の活動に参加しやすい関係づくりに力を入れています。おきのえらぶ島観光協会と協力して島内外のイベントに参加したり、最近では、島内の中学校で講演なども行っています。
また、島で働きたいけどどこで仕事を募集しているか分からないという声もあって、そういった若い子たちの希望と沖永良部島で抱えている課題をマッチングさせていくような取り組みもしていきたいです。今は島外にいる沖永良部島出身の若い子たちが、都会でも不安なくエラブが好きって想いを持って生活してくれることで、都会でも集中できるかもしれないし、島へ帰ってくる人がいるかもしれないし、島を出ても安心できるサポートを今後も続けていきたいです。僕たちが沖永良部島と本土との架け橋になれるように活動していきたいと思っています。

2023年3月に「一般社団法人シマスキ」を設立。代表理事として沖永良部島のPR活動や、島外で暮らす沖永良部島出身者のサポートを行う。また、沖永良部島の知名町で栽培されたシマ桑を使用した「シマ桑青汁」の製造、販促にも尽力。