OTHER 2023.03.08

宮島で起こった
偉人と時代の
ダイナミックな交錯

宮島は周囲わずか30kmほどの小さな島。
日本の国土で見れば、取るに足らない存在です。しかし、この小さな島に歴史上の偉大な人物が深くかかわってきた事実があります。仏教を日本的な形にアレンジして根付かせた空海、日宋貿易で莫大な利益を上げ、身分の低い武士から太政大臣に成り上がった平清盛、初代総理大臣として、日本の近代化に功績を上げた伊藤博文などです。宮島で起こった歴史と偉人の巡り合いを見ていきましょう。

秋吉まさし
(宮島在住の旅ライター)
サラリーマン生活を経て、広島県の宮島に移住。宮島を拠点に全国各地を旅して暮らすライターとして活動している。海の恵みも山の恵みも感じられる離島が好き。身体で感じたその地の魅力を記事にしている。
宮島✕空海
消えずの火に見る悠久の時

空海は中国から日本に密教を持ち込んだ高僧です。じつは、宮島でも修行をしたと言われています。平安初期、空海は中国での修行を終え、当時の日本の中心都市”平安京”に戻る途中、宮島との出会いを果たします。霊験あらたかな宮島の弥山の雄大な姿に衝撃を受け、修行をするに至ったのです。

弥山の山頂付近にある霊火堂では、空海が修行の際に灯した小さな火が現在も燃え続けています。平安と令和という、気が遠くなるほど離れた時代のつながりを、静かで穏やかにゆらめく炎に感じざるをえません。宮島は厳島神社がもっとも有名なので、神道のイメージを持つ人も多いですが、空海が弥山で修行・開山したことをきっかけに仏教も色濃く存在しています。

なお、空海の灯した“消えずの火”で沸かされた湯は自由に飲め、万病を癒すと言われております。

宮島✕平清盛
厳島神社に見る平安武士の威厳

宮島といえば、厳島神社と大鳥居を思い浮かべる人は多いでしょう。その姿は、荘厳・優美・雅ーーー。いくら美辞麗句を並べ立て、言葉をつくしても説明できないほどの迫力と美しさです。宮島の象徴とも言える、厳島神社や大鳥居は平安時代に時の権力者「平清盛」が造り上げました。厳島神社は日本唯一となる海上にある社殿であり、また当時の貴族の邸宅をイメージしていて他に類を見ない建築の様式です。大鳥居も、それに見合う迫力ある姿をしております。

もともと、平清盛は身分の低い武士であったにもかかわらず、太政大臣(現在で言う総理大臣)まで上り詰めた存在であり、日本中にその功績と威厳を示すためにこのようなダイナミックな造りとしたわけです。令和に生きる私たちでも圧倒されるくらいです。当時の人たちはさぞかし厳島神社や大鳥居に、平清盛の圧倒的な存在を感じたことでしょう。

宮島✕誓真
島を救った江戸のヒーロー僧侶

日本史マニアにも言われることでしょう。「誓真ってだれ?まったく知らない」と。しかし、宮島にその名を知らない人はいません。江戸時代に起こった水飢饉にあえぐ宮島の人々を救った、地域のヒーロー的な存在だからです。誓真の本来の職業は僧侶であるものの、井戸や道などのインフラ整備を行い、その上に土産物の宮島しゃもじを考案し、宮島の人々の生活を支えました。

宮島の人々は、誓真の掘り起こした井戸水によって、飢饉のピンチを乗り越え、宮島しゃもじの製造・販売によって経済的に自活できるまでになりました。現在は、井戸は使われていない一方で、宮島しゃもじは今も地域の名産であり続けています。誓真は江戸時代の宮島を立て直しただけでなく、後の発展へと導いた存在と言えます。

宮島✕伊藤博文
初代総理大臣の愛した霊峰 弥山

「宮島の真価は、弥山の頂上からの眺めにあり」明治時代、初代内閣総理大臣となった伊藤博文は、そのような言葉を残しています。確かに、海・空・山が視界いっぱいに広がるその景観は、思わず息をのんでしまうほどの美しさです。伊藤博文は、私財を投じて弥山の登山道を整備するなど、心から弥山を愛していたようです。

また、景色だけではなく、弥山にいる三鬼大権現という日本で唯一の鬼の神様への信仰も厚かったといいます。文献でも、何度も足しげく宮島へ通ったと記録が残っている伊藤博文。もしかすると、「雄大で美しい弥山の景色」と「日本の明るく力強い未来」のイメージを重ね、日本の近代化を成し遂げることができたのかもしれません。