訪れた人に感動の記憶が残る、
四国最南端の島

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四国と九州の間、豊後水道と黒潮がぶつかる辺りに、有人離島があるのをご存知でしょうか?
「沖の島」と呼ばれるその島は、名前からその他の有名な「オキノシマ」と間違われがちですが、
ここで紹介する「オキノシマ」は、多くの人に知られていない「沖の島」です。
便利なものは何もない、だけど訪れた人のココロには忘れられない感動の記憶が残る、そんな島です。

足摺宇和海国立公園に指定され
石垣・石段が島の宝100景にも選定

高知県の南西部、宿毛湾の南西沖約25㎞に位置し、四国本土からフェリーで約1時間ゆられた先にある有人離島。沖の島と呼ばれる四国最南端の島の北側にある集落が「母島」で、「もしま」と読みます。足摺宇和海国立公園に指定され、石垣・石段とともにある暮らしが島の宝100景にも選定。信号もコンビニも本屋さんも、便利なものは何もありませんが、透き通った海、石垣、海に沈む夕日、煌めく星空など、訪れた人の心を揺さぶる風景が、ここにはあります。沖の島全体の人口は、かつては1,000人を超えていたと言われていますが、2010年の国勢調査によると194人で、現在では200人を大きく下回っています。島内には、市役所支所や漁業協同組合支所、郵便局、小中学校、診療所、非公共用ヘリポートなどの施設があり、港から山側に広がる石垣や石段の上に民家が建つ独特の景観を形成しています。観光のベストシーズンは夏。海水浴場やスキューバーダイビング、カヌーなどのマリンスポーツのほか、海岸線を走るサイクリングやキャンプ、島の中央にある標高404mの妹背山への登山などが楽しめます。また、磯釣りのメッカとしても知られ、渡船を利用してオールシーズン大物を狙うことができます。

山伏や三浦一族の開拓伝説が残り
かつては土佐と伊予で島が二分

沖の島の起源として、島には複数の伝説が残っており、北西部に位置する母島集落には鎌倉出身の山伏の開拓伝説が、南西部の弘瀬集落には島祖といわれる三浦一族の開拓伝説があります。いずれにしても、それらの伝説から沖の島に人が住み始めたのは鎌倉時代であったと推測されます。しかし、それよりも古い平安時代の「今昔物語集」に妹兄島伝説があり、その起源ははっきりとしていないのが現状です。江戸時代までは、土佐と伊予の勢力によって北西部の母島が伊予宇和島藩、南西部の弘瀬が土佐藩に二分されていたこともあり、ひとつの島に異なる風土が形成。明治期になって島全体が高知県の所属になりましたが、現在も土伊国境の碑が残されています。